さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

ときどき妹と話す、面白い?昔話

2018年05月03日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
僕が勤める会社には、もう数年前から実妹に週に三日・四日アルバイトで来てもらってるのだが、二人っきりになるといつも話すのが、幼い頃の大貧乏時代の話と破天荒親父の話。ついさっきもラインで思い出話で笑い転げていたところだった。

吉野郡大淀町下渕、雨漏りするトタン屋根二間しかない小さな家に、親父、おかん、俺、妹ふたりの五人が川の字に布団敷いて寝ていた。 足元にはテレビ・机・タンス、俺の顔の横には小さな仏壇があり、雨が降るとトタン屋根の雨音でテレビの音が聴こえない(笑) 朝起きたら布団にネズミが足で踏まれ死んでたり、ナメクジは柱を這ってたり、ゴキブリは炊事場から飛んできたり(苦笑) そんな家で僕らが育ったのは事実だ。 「ながたのびんぼうに~ん」とか言われてトタン屋根に石ころ投げられたりしたこともしょっちゅう、それより何より、親父の酒癖が悪かったもんだから、そっちのほうが嫌だった。 トラックの運転手から怪我をしてから土方にかわり、そこでも右手複雑骨折やら、足の骨折とかしょっちゅう入院してた記憶がある。 おかんとは酒に酔って帰ってくるたびに、殺人事件が起こるかも知れない勢いで暴れだしては喧嘩がはじまり、帰ってくる途中で近所の家に向かって「火つけて燃やっしも~たるぞ!こらあっ!よおっ?」みたいに叫んで夜中帰ってくるもんだから、俺ら兄妹3人は、次の日、学校へ行くのが恥ずかしくて恥ずかしくてね。 トタン屋根二間のその家は、どうも親父の持ち物じゃなかったみたいで、土地の名義がすぐ隣に住む親父の従兄の持ち物?だったようで・・・そんな親父が、54歳で死んだあと、その隣に住む親父の従兄というオッサンが「お前ら、早よ出ていけ!」だの「お前のおかん、男家に入れとるやろ!」とか(死んだ親父の連れが線香あげに来てるだけなのに)いうもんだから、ある日、俺は殺人未遂をしたらしい・・・(全く覚えてないんだよね~w) 妹の証言からすると、どうもそのオッサンに向かって出刃包丁を振りかざしたところを妹二人が必死で止めたらしい・・・(><)まあ、そんな話を後で聞いたり、そんな家でも、決して嫌な事ばかりじゃなく、兄妹3人はグレもせず、笑いを自ら作っては楽しくやってたもんだ。 親父も酒さえ飲まなきゃ、しんどい仕事もまじめにやってたし、ただ背中や肩に模様の入った連れや、ヒロポン?のため注射器持ってくる連れとかが家に出入りしてたのは、未だに嫌な思い出として脳裏に焼き付いている。それでも俺はそんな親父の血をひく息子、受け継がれたものがひとつあって・・・それは今この歳になってもおさまらないイタズラだ(笑)会社の同僚やバイトの女性にゴキブリの玩具を仕掛けたり、男子寮のトイレの中に映画「呪怨」の画像をプリントアウトして貼り付けておいたり、夜の現場に行くときは必ずと言っていいほど若い連中を怖がらそうと、怪談をしてはビビらせたりと・・・。なんてたちの悪い上司だ!! まあ、ええじゃないかw
そうそう、親父の母、僕のおばあちゃんがその隣のおっさんの家になぜか住ませてもらってて、僕はそのおばあちゃんが大好きだった。中学校2年の時に亡くなったんだけど、小学校の頃はいつも一緒に家から離れて外にあった風呂に入っては、おばあちゃんがよく聞かせてくれた「大峰山に居る、しっぽの生えた宇宙人」の話が好きだった。そう、おばあちゃんはUFOと宇宙人の存在を信じていたのだ!! 僕はその頃よく読んでいた漫画ブラックジャックの話をしてたもんだから、「たかっさんは将来、医者になるんやなあ」なんてよく言われていたもんだ。 そうや、ぼつぼつ、そのおばあちゃんの歌を作ってみようかな・・・このノリでw 僕に口笛と草笛を教えてくれたおばあちゃんの歌を。。。なんだか、何を書いたのか、昔のダークで今から思えばダークでもなかったような身の上話を書いてしまったが、さて、このくだらん話を最後まで読んでしまった人はおるんやろか・・・ゴメン!!(笑)

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