ブラックコーヒーと黒砂糖 作詞・曲:ながたたかし
寒い夜だった 母は俺と妹ふたりを 連れて駅へ行った
日付が変わって 静まり返った 踏み切りで母は ため息をついた
その夜の宿は 駅の宿直室 朝まで寝かせてくれと 頼み込んだのだろう
朝がた家に戻り イビキかく親父を 起こさぬように また眠りについた
酒に酔いつぶれる 理由があったのだろう
悔しく 耐え切れぬことがあったのだろう
素面の親父は 働き者だったけど 酒に溺れる 親父を憎んだ
ある日 突然、 親父が言った「腹が痛いと学校を休め」と
その朝はじめて 親父のトラックの助手席に座り 胸が躍った
黙ったままで でかいハンドル 握る親父は 男らしいかった
初めてのドライブイン 初めてのコーヒー 初めての黒砂糖かじる俺がいた
俺を連れてゆく理由があったのだろう
きっと孤独な 夜があったのだろう
まともに話をしたことがなかった 親父は息子に何を思ったのか
病室で親父は 膨れた腹と 丸坊主頭で 苦しんで 逝った
結局最後まで 俺と親父の 男同士の話はなかった
後から聞く話は 親父の武勇伝 警察(サツ)じゃ、名の通ったやんちゃくれらしい
俺がただひとつだけ 受け継いだものは 外面ばかりの友達つきあい
貧しい暮らしにも 何かが見えていた
負けちゃいけないと 食いしばる俺がいた
あの町を出てきた俺は 逃げてきたわけじゃない 自分の力を試したいだけだ
初めてのブラックコーヒー 初めての黒砂糖 苦さと甘さをあのとき知った
初めてのブラックコーヒー 初めての黒砂糖 苦さと甘さをあのとき知った
写真は、僕が3歳の頃に親父が入院していた堺市の病院。
トラックの荷台から大きな積荷とともに落ちて、足の複雑骨折だったらしい。
ちょうど、病室の白黒テレビだったか、フォーク・クルセダーズの「帰ってきた酔っ払い」が人形劇で放映していたのを鮮明に覚えている(笑) あと、サンダーバード2号の小さなプラモデルが30円で、同じ病室の兄ちゃんに作ってもらった記憶。
親父は、とにかく町で有名な大酒飲みだった。 ステテコに腹巻がユニフォーム。
酔っ払うと、近所をフラフラになりながら「火つけて燃やっしもうたるぞ~!」と叫びもって帰ってくるから、火事が近くでおこるたびに「慎ちゃんちゃうか・・・」と声があがる。(苦笑)
そんな親父だから、連れてくる友達も悪い連中ばかり・・・中には注射器持参の連れもいた。 ガラスコップに水を入れて、外にあった「ぼっとん便所」に入っていく姿を見て、子供ながらにも、何を隠れてしているのかは理解していた。 ただ、今となっては、親父も同じようそれに手を出していたのかは、確信出来ないが、親父が死んだあと、私服の警察官がやってきて、タンスやあちこちの引き出しを調べに来たことがあった。
酒を飲む理由には、やはり当時の貧困が大きな原因だったのだろう・・・でも外面いい親父は、金のほとんどを飲んだ勢いでばら撒いていたのも事実らしい。
酔っ払うと、母親を殴る、蹴る、町長の自宅の家の窓ガラスを割りに行く、マツタケを山に盗みに行って捕まる・・・(--; とにかく、「死んでくれ!オヤジ!」と何度思ったことか。
そんな親父も、働くときは一生懸命だった。 吉本新喜劇が好きで、度を越した悪戯が好きで、人気者で・・・よくわからん。(笑)
そんな親父は僕が二十歳の時に肝硬変で死んだ。
いまになって、やっと冷静に、笑い話に、ただの思い出話に出来るようにもなった。
そんなことを思い浮かべながら、病院のベッドで作った歌がこれ。
俺はファザコンであり、マザコンなのだろう。
生きているときは、両親を何度も恨んで生きてきたくせに、死んで居なくなるとこんなことを書いたり思ったりするのだから。
母親が去年死んだとき、悲しむ俺に、仲間のひとりが言った。
「だって、あなたが産まれてきた場所を無くしたんやもん・・・あなたが浮かんでた海を・・・。」
親父は何だったんだろう・・・?
それを最近よく考える。
寒い夜だった 母は俺と妹ふたりを 連れて駅へ行った
日付が変わって 静まり返った 踏み切りで母は ため息をついた
その夜の宿は 駅の宿直室 朝まで寝かせてくれと 頼み込んだのだろう
朝がた家に戻り イビキかく親父を 起こさぬように また眠りについた
酒に酔いつぶれる 理由があったのだろう
悔しく 耐え切れぬことがあったのだろう
素面の親父は 働き者だったけど 酒に溺れる 親父を憎んだ
ある日 突然、 親父が言った「腹が痛いと学校を休め」と
その朝はじめて 親父のトラックの助手席に座り 胸が躍った
黙ったままで でかいハンドル 握る親父は 男らしいかった
初めてのドライブイン 初めてのコーヒー 初めての黒砂糖かじる俺がいた
俺を連れてゆく理由があったのだろう
きっと孤独な 夜があったのだろう
まともに話をしたことがなかった 親父は息子に何を思ったのか
病室で親父は 膨れた腹と 丸坊主頭で 苦しんで 逝った
結局最後まで 俺と親父の 男同士の話はなかった
後から聞く話は 親父の武勇伝 警察(サツ)じゃ、名の通ったやんちゃくれらしい
俺がただひとつだけ 受け継いだものは 外面ばかりの友達つきあい
貧しい暮らしにも 何かが見えていた
負けちゃいけないと 食いしばる俺がいた
あの町を出てきた俺は 逃げてきたわけじゃない 自分の力を試したいだけだ
初めてのブラックコーヒー 初めての黒砂糖 苦さと甘さをあのとき知った
初めてのブラックコーヒー 初めての黒砂糖 苦さと甘さをあのとき知った
写真は、僕が3歳の頃に親父が入院していた堺市の病院。
トラックの荷台から大きな積荷とともに落ちて、足の複雑骨折だったらしい。
ちょうど、病室の白黒テレビだったか、フォーク・クルセダーズの「帰ってきた酔っ払い」が人形劇で放映していたのを鮮明に覚えている(笑) あと、サンダーバード2号の小さなプラモデルが30円で、同じ病室の兄ちゃんに作ってもらった記憶。
親父は、とにかく町で有名な大酒飲みだった。 ステテコに腹巻がユニフォーム。
酔っ払うと、近所をフラフラになりながら「火つけて燃やっしもうたるぞ~!」と叫びもって帰ってくるから、火事が近くでおこるたびに「慎ちゃんちゃうか・・・」と声があがる。(苦笑)
そんな親父だから、連れてくる友達も悪い連中ばかり・・・中には注射器持参の連れもいた。 ガラスコップに水を入れて、外にあった「ぼっとん便所」に入っていく姿を見て、子供ながらにも、何を隠れてしているのかは理解していた。 ただ、今となっては、親父も同じようそれに手を出していたのかは、確信出来ないが、親父が死んだあと、私服の警察官がやってきて、タンスやあちこちの引き出しを調べに来たことがあった。
酒を飲む理由には、やはり当時の貧困が大きな原因だったのだろう・・・でも外面いい親父は、金のほとんどを飲んだ勢いでばら撒いていたのも事実らしい。
酔っ払うと、母親を殴る、蹴る、町長の自宅の家の窓ガラスを割りに行く、マツタケを山に盗みに行って捕まる・・・(--; とにかく、「死んでくれ!オヤジ!」と何度思ったことか。
そんな親父も、働くときは一生懸命だった。 吉本新喜劇が好きで、度を越した悪戯が好きで、人気者で・・・よくわからん。(笑)
そんな親父は僕が二十歳の時に肝硬変で死んだ。
いまになって、やっと冷静に、笑い話に、ただの思い出話に出来るようにもなった。
そんなことを思い浮かべながら、病院のベッドで作った歌がこれ。
俺はファザコンであり、マザコンなのだろう。
生きているときは、両親を何度も恨んで生きてきたくせに、死んで居なくなるとこんなことを書いたり思ったりするのだから。
母親が去年死んだとき、悲しむ俺に、仲間のひとりが言った。
「だって、あなたが産まれてきた場所を無くしたんやもん・・・あなたが浮かんでた海を・・・。」
親父は何だったんだろう・・・?
それを最近よく考える。
子供の頃から顔がちっとも変わってませんね(笑)
生きたいように生きられたお父様でしょうか。
思い出せるっていいですよね。
そうです、親には苦労かけられました。(汗)
どんな出来事も時間は収めてくれます。