・浦上天主堂無元罪サンタマリアの殿堂あるひは単純に御堂とぞいふ・
「つゆじも」(1946年・昭和21年)所収。1919年(大正8年)作。
この作品には特殊な成立事情がある。戦前の作品だが発表は戦後だということ。それから手帳の記述をもとにしたものでのちに作品として完成されたものだということ。
手帳には
「まりあ学校/御堂(浦上天主堂。無元罪サンタマリアノ殿堂)」
とあり、これを昭和15年に作品化した(佐藤佐太郎「茂吉秀歌・上」)のである。
あれほど声調(調べ)に気を配り、定型に忠実だった茂吉にしては、度外れた破調である。どこで区切るのかもはっきりしない。
それと漢語・カタカナ語の多さ。これも茂吉らしくない。茂吉は和語のやわらかさにかなりこだわっている。これは「白桃」などの自註でみずから言っているところ。
「白桃」を「しろもも」・「起伏」を「おきふし」・「水疱」を「みなわ」と読ませる。和語の柔らかさを計算した上でのこと。
だから、この一首は「実験作」であると言える。「作歌四十年」でもふれていない。先に挙げた「造船所」の歌以上に、実験的である。
「一句から息長く読み下して、一首としての短歌的ひびきを受け取るべきであるが、< 浦上天主堂 >が一句にあたり、< 無元罪サンタマリアの聖堂 >が二三句にあたり、ここに小休止がある。そして< あるいは単純に >が四句にあたり、< 御堂とぞいふ >が五句にあたる。」(茂吉秀歌・上:佐藤佐太郎著)
とすると、5・7・5・7・7ではなく、7・5・9・8・7である。だが音数というのは読み方によって変わる場合があるから、同じ表記でも音数は違ってくる。
僕も急迫不整の場合、4句目が9音になることがしばしばある。誤解されないように工夫して7音に直して発表するのであるが、声に出すと9音の方がふさわしいと思う。
つまり余程の覚悟と自覚がなければ、こういった作品は発表出来ない。ここに挙げた茂吉の作品について言えば、漢語やカタカナ語の多さから、この度外れた破調は効果をあげていると言えるだろう。
「あたかも壮大なルネッサンスの芸術に匹敵するようなひびきをうけとめることができる」とは、長沢一作「斎藤茂吉の秀歌」の評価。
そして、「木で鼻をくくったような修辞が、べたべたした抒情詩などとは比べものにならぬ乾性、非情のポエジー」とは、塚本邦雄「茂吉秀歌・つゆじも~石泉」の評価である。
僕も基本的にはそう思うが、茂吉の真骨頂はやはり、「赤光」「あらたま」であり、「小園」「白き山」「つきかげ」である。つまり茂吉らしくないと思うのは、その点である。難しいところだが、「つゆじも」には次のような作品もある。
ヘンドリク・ドウフの妻は長崎の婦(をみな)にてすなはち道富譲吉生みき
かかる墓もあはれなりけり「ドミニカ柿本スギ之墓享年九歳」