・体内の器官によりてきざすもの悲哀の如く不安のごとく・
「帰潮」所収。1950年(昭和25年)作。
「よりて」は「依りて」の意で、「体内から湧き上がってくるような感覚」を示すのだろう。言うならば、腹の底から「悲哀」と「不安」が兆してくるようだという歌意だ。
これまでも記事に書いてきたが、「帰潮」の主題は「貧困の中の悲しみ」である。その「悲しみ・不安」が立て続けに出てくるのだから、下手をするとしつこくなる。それでは詩にならない。
この一首が詩として成立しているのは、悲しみや不安を具体的に表現するのでなく、「きざすもの」とさらりと言っているところにある。具体的なものは何も詠み込まれていない。それが逆に成功しているのである。
これが「悲しみ」や「不安」の内容を具体的に表現してしまっては、しつこい愚痴になってしまう。「写実派の短歌」は「事を詠まずに物を詠む」場合が多いが、佐太郎はそうした読み方をしなかった。これが注目点の一つ。
もうひとつは下の句の対句である。茂吉の作品ではあまり見かけない表現方法だが、佐太郎の作品には下の句を7・7の対句にしたものがかなりある。ひとつの技法だがそれが小手先の「テクニック」に陥らないのは、作品の主題の重さによる。つまり、技巧と内容がほどよいバランスを保っているといえるだろう。
技巧が目立たない工夫も見逃せない。対句の最初が「如く」で、次が「ごとく」である。表記にも気配りがされているのである。
具体的なものが何一つない。そして対句。これは従来の「写実派」にはなかった特徴で、土屋文明の「新即物主義」と違った新傾向であり、岡井隆をして「象徴的写実歌」と言わしめた原因でもあろう。