岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

斎藤茂吉の短歌:「相模の海」を詠う

2011年03月18日 23時59分59秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
・おほほしきくもりにつづき心こほし相模の海の遠なぎさ見ゆ・

 「石泉」所収。1931年(昭和6年)作。岩波文庫「斎藤茂吉歌集」156ページ。

 先ずは読みから。「おほほしき=おぼろげである、憂鬱な」「くもり=曇り」「こほし=恋ほし(恋しい)」。

 上の句がかなり古風。しかもカナ書きで読みにくいので、現代語・漢字表記に改めると次のようになる。

・憂鬱な曇りに続き心恋し相模の海の遠なぎさ見ゆ・

 茂吉の自註。「作歌40年」「石泉・後記」にはない。佐藤佐太郎「斎藤茂吉秀歌・上」、長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」もとりあげていない。

だがこの作品は二重の意味で注目に値すると僕は思う。

 ひとつは茂吉独特の立体感のある叙景歌であるという点。「遠なぎさ」という造語が、見事な遠近感を表現している。

 もうひとつは客観写生の中に巧みに主観が表現されていることである。「心こほし」がそれであるし、初句の「おほほしき(=「おぼぼしき」という上代語だが、「おほほし」とも言う。おそらく語感を考えて茂吉が「おほほしき」を選択したものと思う。)」も主観を暗示しているようだ。

 そして以上の二点は佐藤佐太郎に受け継がれている。前者の遠近感のある捉え方は、佐太郎の「空間として限定する」という、作歌態度に。後者の客観のなかに主観を巧みにひそませるのは、客観・主観一体という佐太郎の表現の基本に。

 斎藤茂吉の作品としては人口に膾炙したものではないし派手さもない。だが茂吉と佐太郎を結ぶ重要な作品だと僕は思っている。






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