・はらごもつ鱒とこそ聞け常ならぬその紅をわれは悲しむ・
「群丘」所収。1961年(昭和36年)作。岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」120ページ。
佐藤佐太郎は1961年(昭和36年)奥日光を訪ねた。そこで農林省(現・農林水産省)の養鱒場・水源地・中禅寺湖・小田代が原などをめぐっているが、そのなかの一首。
鱒にはニジマス・ヒメマスなどがあり、イトウもその一つである。いずれも淡水魚だが、海を回遊するものにはカラフトマスがある。いずれもサケ科の魚だ。
佐太郎が養殖場で見たのはニジマスだろう。ヒメマスは養殖できないからである。中禅寺湖でもヒメマスの漁期は5月から10月と定められており、それ以外の期間には食するのも難しい。
ところでこの作品の自註はないが僕はニジマスだと思う。なぜならその直前に次のような作品があるからだ。
・かすかなる鱒といへども落雷に生きのこり体曲がりておよぐ・
これには自註がある。
「晩秋、奥日光に遊んだときの作が多いが、これはそのうち農林省(もと宮内省)庸鱒場の一首。知人が居て、ここに一泊した。発育の順に養魚池がいくつもあるが、なかに体の曲がっているのもいて、哀れにおもって人に尋ねたのであった。素材の珍らしい歌である。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)
ニジマスは「背部蒼黒色、腹部銀白色で、全体に黒色点多く、また体側に赤色の帯状斑紋がある」(広辞苑)ので全体的に黒を基調とした色だが、それだけに腹の側面にある赤い斑点はことさら目立つだろう。
その色が「はらご=魚卵」を持つメスの魚という客観と印象が重なった表現が「常ならぬ」という主観と結びついたのだろう。ここにも客観と主観の一体化がある。