岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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ガジュマルの森が泣いている【これでいいのか沖縄】

2016年07月22日 00時32分11秒 | 政治経済論・メモ
沖縄はかつて琉球王国という独立国だった。江戸時代初期に薩摩藩の侵略を受けて、属領となったが形式上は独立国だった。それでも特産物の黒糖をめぐる悲劇的な話が残っている。

 琉球の特産物はサトウキビだ。そこからは砂糖がとれる。精製すれば白砂糖だが、サトウキビの樹液を乾燥させれば黒糖となる。コクがあり旨い。


 江戸時代、砂糖は高値で取引されたので薩摩藩はサトウキビを栽培させた。そして税として厳しく取り立てた。空腹の子供がサトウキビをかじったら、薩摩藩の役人に殺害されたという話も伝わっている。


 佐藤佐太郎はこういう歴史的事実を踏まえてつぎの歌を詠んでいる。

 ・砂糖煮る悲劇のごとき匂ひしてひとつの部落われは過ぎゆく 『群丘』所収。


 沖縄の歴史はその後も悲劇の様相をみせる。明治に入っての琉球処分。形式的に未だ独立していた琉球王国は廃されて、沖縄県に強制編入された。沖縄は琉球王国時代は東アジアの貿易の拠点として栄えた。中国、朝鮮、日本、東南アジア。これらの地域を貿易で結んでいた。現在の香港のような位置だった。これは独立国ならではのありかただった。しかし琉球処分によってその地位は失われた。職を求めて多くのひとが沖縄から本土に移住した。それは劣悪で安価な労働力として使用された。


 十五年戦争では日本で唯一の陸上戦の戦場となった。沖縄県民の四人に一人が死亡した。「ひめゆり部隊」の悲劇、万歳クリフ、集団自決などでも知られる。


 その受難は戦後も続いている。サンフランシスコ条約によってアメリカの施政権下に入れられ、アメリカ軍のブルドーザーが農地や住居を踏みにじり米軍基地が作られた。「沖縄の中に基地があるのではない。基地の中に沖縄がある。」と言われるように沖縄の中心部には米軍基地があり、軍用機の墜落、アメリカ兵の犯罪で多くの人が命を落とした。


 1972年に本土に復帰したが、時の政権の「核抜き本土並み」の基地負担の公約とは正反対の「本土の沖縄化」とも言うべき密約が日米両政府のあいだに結ばれた。施政権は返還されたが米軍基地の負担は減らずアメリカ兵の犯罪も多発している。

 現在進行形で言わなければならないところに沖縄の問題の深刻さがある。

 現在は、辺野古基地の問題。ここに基地ができると沖縄北部は軍事要塞化する。たびたびの選挙で与党は敗北を続け、参議院選挙では自民党の現職の大臣が落選し、ついに自民党選出の国会議員はゼロになった。

 しかし政府は辺野古基地の米軍基地建設に執着し辺野古の工事現場の入り口に坐りこむ人々を暴力的に排除している。ここには東京の警視庁の機動隊が1000人に迫る規模で投入されている。九州地方の機動隊も投入されている。沖縄の警察では地元民に同情が湧くからだそうだ。

 また高江という地域には米軍のヘリパットの建設が新たに始まり、ここにも大量の機動隊が投入されている。そこで7月21日に起こったこと。警察の車両が住民を引いた。警察官は部隊の奥に隠れ、警察は現場検証もしていない。


 日米の両政府が沖縄の民意を無視し、軍事基地を強化し住民に犠牲を強いている。しかし本土のメディアでは全く取り上げられない。これ以上の理不尽があろうか。

 現在4党の野党連合と市民連合が、辺野古基地の工事の中止などを共通の政策としているのは民意にかなったことだ。また東京の警視庁の機動隊が投入されていることから東京の問題であるとも言える。




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