同窓会というのは不思議なものだ。すべての人間が童心にかえる。喧嘩をしたり感情がすれちがったまま卒業したこともあったろうに、そんなものは時間がいとも簡単に消してくれる。今回は、題して「生まれて半世紀、50歳記念同窓会」。僕は体調の関係で二次会だけ出席したが特別な意味があった。それにはいくつか理由がある。
ひとつは、僕自身が32年前に卒業式を欠席したことだ。卒業式の当日は、ちょうど大学の受験日と重なった。合格発表を待って職員室まで卒業証書をもらいに行った。時間にして5分か10分。何とも味気なかった。中学校の卒業式は、講堂の椅子に座ってしみじみと卒業証書を見た。何度も見た。最後は、担任の教師が泣き、生徒も泣きだったから、高校の職員室で手渡された卒業証書はかわいたボール紙のようだった。いまさら言うのも何だが、中途半端な気分で高校生活を終えたわけだ。
もうひとつは、ちょっと特殊な理由である。大学を卒業して間もなく学習塾を開設したのは、僕が卒業した中学の学区のほぼ中央。当然、「後輩」が入塾してくる。そのうちの何割かは僕自身の卒業した高校へ進学する。中学高校時代がそのまま続いている感覚をもつのもしばしばだった。
しかし、時間は確かに進んでいた。32年ぶりに会った面々は、みんなやや太めになっていたり、頭に白いものがちらほらしていたり。外見は多少変わっていたが、それぞれ面影が残っていた。話し込んでいくうちに、高校時代の少年少女の顔つきになっていく。不思議なことにその面影が残っているところが人それぞれなのである。目もと、口もと、笑ったときの表情、声、顔の輪郭、そしてなにげない仕草。二次会から参加した僕と違って、みんな饒舌になっていたから、童心にかえって心を開いていたのかも知れない。
それにもまして驚いたのは、みんながそれぞれ自分の道をしっかりと歩んでいるということだった。教師、医師、科学者、音楽家、システムエンジニア、家業を継いだ人。有名無名に係わらず「その道のプロ」である。32年間は山あり谷ありだったろう。けれどそれもまた話題のひとつとなる。例え大きな荷物を背負っていても、それは言わない。ひとつのルールと言えばそれまでだが、そういう言葉の入り込む余地がないほど盛り上がった同窓会だった。二次会から出席してコチコチだった僕の心をやわらげてくれたA君の陽気な表情がありがたかった。
後日同窓会のブログに、出席した恩師の「お礼状」が掲載されていた。二次会では会えなかったが、文面のはしばしに往年の「面影」が残っていた。心を開いた時の表情と同じく「文体」も時を経ても変わらぬらしい。そのうちの一人とは電話で話したが、声と話し方も変わらなかった。僕は受話器を握りしめて、頭をさげながらで卒業式で言おうと思っていたことを話した。
かく言う僕はどうなのか。同窓会当日の帰りのエレベーターの中で、B君に言われた。
「わからなかった!」
遠目に見て僕は彼のことを認識していたし、視線が合ったようにも思ったのだが、彼の方は違うらしかった。32年の時を経て、僕もまた顔つきが変わっていたらしい。自分の顔は毎日見ているものだから、気がつかなかっただけなのか。
それから、何人かとメールを交換し、手紙のやり取りもあった。アドレス帳の氏名、住所がいくつか増えた。32年ぶりの同窓会は、僕にとっては「32年ぶりの卒業式」となったようだった。