岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

社会詠と時事詠:作品の普遍性

2013年08月03日 23時59分59秒 | 私の短歌論
先ずは「岩波現代短歌辞典」(岡井隆監修)よりの抜粋。

「社会詠」:「近代以後、個人の感情生活や心理を掘り下げることが短歌の中心的テーマであったが、実社会への批評精神の欠落を危ぶむ声は古くからあった。狭義の社会詠は、インフレやストライキなど社会事象そのものを直接に歌ったもの。広義には、素材や詠風の具体性の有無によらず、社会を見たり批判したりする回路を示した作品を社会詠といいってよい。・・・ただし、どちらの場合でも社会詠は、善悪の判断を教条的に述べるだけとなる危険をともなう。」

「時事詠」:ときどきの政治的あるいは社会的問題を歌った作品を指すが、その範囲はかなりあいまいであり、また、1980年以降は、特定の政治的立場を明らかにして歌われることは少なくなっている。」


 かなり抽象的なもの言いだが、僕の考えはこうである。

「社会詠」:「社会のありかたへの批判を、文学の普遍性、詩の普遍性にまで昇華した作品。」

「時事詠」:「社会現象をそのままなぞったり、時代に便乗したりしただけの、スローガン的な短歌作品。戦中の夥しい、戦意高揚の短歌がこれにあたる。とくに短歌とナショナリズムが結びつくと、短歌は危険な凶器になる。」

 斎藤茂吉は、戦中に夥しい「戦意高揚のためのプロパガンダ」を短歌作品に残した。これが戦後「斎藤茂吉の戦争責任」として追及された。小池光などは、未だに「斎藤茂吉は戦犯歌人」と言って憚らない。戦争中の斎藤茂吉の言動は、茂吉最大の過誤だと僕も思う。だが、小池光は、斎藤茂吉を批判する前に、自身の所属する「短歌人」の創刊者である軍人歌人:斎藤劉の責任を先ずもって、明らかにするべきだろう。

 話がずれたが、「社会詠」とは、時々の政治的風潮に流されず、社会に対する人間の鋭い視線を、文学までに高めたものだ。つまり高度な心理詠と考える。「高度な」としたのは、「岩波現代短歌辞典」にあるような危険があるからだ。僕は社会詠を詠もうとして、700首位、作って、角川「短歌」などに筆名で投稿した。失敗作を予期したので、筆名にしたのだ。

 そのうち40首余りが、角川「短歌」の、特選、入選、佳作となった。これを成功の一応の目安として、ここに歌集未収録も含めて発表する。

・「爆弾が空から降って来たんです」大正生まれの母の初夢・

・犬猫はその数の中に入れられずヒロシマ・ナガサキ死者二十万・

・老いたれど孤児と呼ばれる人々が肉親さがしに「来日」したり・

・爆風も上り行きしやナガサキのここなる坂に白猫歩く・

・川風の止む時ことに蒸し暑き昼ヒロシマの街を歩みき・

・海外への派兵の決定なされたる今日多喜二忌の案内届く・

・押入れの中よりいでし軍票を祖父は黙して破り捨てにき・

・わが祖父は引き上げ船の順番を三度譲りきと日記残したり・

・銃を背に行軍し行く兵士らの靴音聞こえず画面の中は・

・最貧の国を攻めるは金満の国々なると誰かいわんや・

・靴ひもを固く結びて宿を出る戦績をわが巡らんために・

・権力の前にわれらは非力なれど無力にあらずと署名に応ず・

・原発の事故を伝えるニュース聞き母は家中の電灯を消す・

・「戦場に誤爆があった」と聞く夜は大きな鏡にわが顔映す・

・真夜中に不意に地響き鳴り始め軍用車両が走るオキナワ・

・獄舎にて死せし人らを思いつつ「治安維持法事件史」を読む・

・「軍国の少年」たりしわが父の古き写真の視線鋭し・

・ダイ・インをする群衆の映像を見て蕎麦喰いき会社員われは・

・農民の蜂起ありしを思わせてこの夜に見る秩父夜祭り・

 社会詠の成功の条件の一つは、「作品の普遍性」だ。ある有名歌人が言ったように「旬」ではない。





最新の画像もっと見る