岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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「日本国憲法第九条と国際貢献」(1)

2013年07月19日 23時59分59秒 | 政治経済論・メモ
日本国憲法は、1946年5月3日に施行された。先に「日本国憲法の制定過程」の記事で述べたように、様々な、過程を経て制定された。ここでは「憲法九条」に限って考えてみよう。

 1、制定当時に政府がどう説明していたか。

・「あたらしい憲法の話」(文部省が中学一年生向けに作ったもの):1947年

 「戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから今度の戦争をしかけた国には、大きな責任があると言わなければなりません。・・・・そこで今度の憲法では、日本の国が、決して二度と戦争をしないように、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさい持たないということです。これからさき、日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨ててしまう』ということです。しかしみなさんは、決して心ぼそく思うことは有りません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に正しいことぐらい強い者はありません。
   もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないことを決めたのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争にならずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友達になってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。」

・幣原喜重郎(戦後の二人目の首相)
 
 「実際此の改正案の第九条は戦争の拗棄を宣言し、我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って、指導的地位を占むることを示すものであります。今日の時勢に尚国際関係を律する一つの原則として、或る範囲の武力制裁を合理化、合法化せむとするが如きは、過去における幾多の失敗を繰り返す所以でありまして、最早我が国の学ぶべきことではありませぬ。文明と戦争とは結局両立し得ないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が先ず文明を全滅することになるでありましょう。私は斯様な新年を持ってこの憲法改正案の起草の議に与ったのであります。」:1946年貴族院本会議

・吉田茂(戦後三人目の首相):現、副総理の祖父

 「戦争放棄に関する条項に於きまして、国家正当防衛による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯くの如きを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛の名に於いて行われることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思うのであります。」:1946年衆議院本会議

・国連憲章との関係

 当時、憲法九条が国連憲章と異なることも明確に意識されていた。(金森徳次郎:憲法専任大臣)

 「此の憲法の趣旨が国際連合の趣旨と違う所のあることは、今、仰せになりました如くであります。」(1946年貴族院憲法改正特別委員会)

 「日本は如何にも武力は持って居りませぬ。それ故に・・・日本が国際連合に加入すると云う問題が起こって参りました時は、・・・我々は協力するけれども、併し我々の憲法九条がある以上、この適用については、我々は保留しなければならない。・・・即ち我々の中立を破って・・・何処かの国に制裁を加えると云うような、命令というか、そういう注文を日本にして来る場合がありますならば、世界の世論は翕然として日本に集まって来るだろうと思います。」(1946年貴族院憲法改正特別委員会)

 ここで分かるのは、「憲法制定時」には、「国際貢献」の名のもとに、海外に自衛隊を派遣するなどいう発想は出て来なかった。
 
 ではそれが何処でどう変わったのか。明日の記事で考えてみよう。

 (続く)





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