いくつかの論点に従って論を進めよう。
・戦争について:
首相は「侵略の定義は歴史家に任せて、自分は判断する立場にない」と言う。また、歌人の秋葉四郎は「戦争が悪い、戦争の評価は歴史が決める」と言う。
だが、そこには幾つかの誤りがある。一国の指導者が、自国の起こした戦争について「判断しない」のは、有り得ない話だ。歴史は、或いは歴史学は、「過去の事実を明らかにする」だけではない。「過去の事実を明らかにしたうえで、『価値判断』するものだ。ただの「懐古趣味」ではない。
満州事変に始まる「15年戦争」が侵略であったかどうか。結論から言えば、「大日本帝国」による「侵略戦争」だった。「満州事変」が関東軍(満州の守備隊)の謀略であったことは明らかだし、「日中戦争」が「天皇の名」による戦争だったことは、明らかだ。
数年前の民放の討論番組で、評論家の桜井よし子が「あの時は、ABCD包囲網で「戦争をせざるを得なかった」と発言した。スタジオにいた「歴史を学んでいる」という学生は「戦争は殺し殺されるの関係で、日本だけが一方的に悪いわけではない。」と発言した。
しかし、同席した小泉内閣の首相補佐官を経験した、岡本行夫が、その学生の言ったことは、「日米戦争」に関して言えることで、「東アジア」に対しては「日本が加害者だった」と明確に述べ、その学生と桜井よし子は、沈黙した。
(その後、桜井よし子の姿を、テレビで見なくなった。)
ABCD包囲網について言えば、これは「日米開戦」の切っ掛けであって、戦争そのものの原因ではない。ハワイ大学のある教授が、片言の日本語でこういった。
「太平洋の西に、ハワイを滅ぼした国がありましたね。太平洋の東に中国を滅ぼそうとした国がありましたね。その二つの国が太平洋の真ん中でぶつかりましたね。これが、日本とアメリカの戦争でしたね。」
また、所謂「十五年戦争」が、侵略戦争であったことは、村山内閣の「村山談話」で確定している。それに加えて、「日中国交正常化」の時の、田中角栄の発言(戦争では、中国に人たちに「多大なご迷惑をおかけした。」と周恩来へ。)
これを覆すのは、アジア諸国、とりわけ、中国、韓国の信頼を失うことに繋がる。
・領土問題について:
竹島、尖閣諸島の問題。中国と韓国の行動はかなりエキサイトしている。だがこれも、国際法に基づく、外交交渉で解決すべきものだろう。日本は「竹島は占領され」「尖閣諸島は占領されていると思われて」いる。いわば当事者としての両局面を体験していることになる。ここから、「いい知恵」も出て来るだろう。
尖閣諸島の「国有化」は、中国を挑発した。これは、暴走老人、石原慎太郎の間違いだった。挑発しておいては、外交交渉は出来ない。(石原慎太郎の弟の、石原裕次郎が、映画「戦争と人間」の中で、満州の軍部に対して「あなたたちに任せていては、『満州の日の出』は血の色に染まるんじゃないですか。」と発言したのとは、対象的である。
・従軍慰安婦について:
従軍慰安婦については、募集に当たって、軍の関与があったのは事実であり、河野衆議院議長の「河野談話」で確定している。マンガ家の小林よしのりが、「慰安婦たちは、瓦屋根の2階建ての複数の部屋がある大形住宅に住んでいた。」と述べ、まるで従軍慰安婦が、裕福な生活をしていたように論じているが、「この建物」は、学校の校舎である。慰安婦たちは、学校の校舎に押し込められていたのだ。
このように、日本が中国、韓国を侵略したのは明らかである。この基本認識なしに、「日中」「日韓」の友好関係は構築できないだろう。
以前の記事で引用したが、再録する。
「(第一次世界大戦と第二次世界大戦の)32年をつうじて、なによりも痛感されるのは、救いがたいまでの国家エゴイズムが、対内的にも対外的にも、日本の支配者をとらえており、日本国民をも毒していたという事実である。」(江口圭一著「二つの大戦」)
「体制順応主義に対して抵抗しなければならない。それは少数派になる勇気と同じことです。だからこわくても、少数派になる用意がないとだめだ。それが非常に大事だ。もしその勇気がなければ、あるいは批判精神がなければ、それは戦争責任を果たしていないということになるんです。」(加藤周一著「戦後世代の戦争責任」)
参考文献:江口圭一著「15年戦争の開幕」、藤原彰著「日中全面戦争」、木坂順一郎著「太平洋戦争」、大江志乃夫著「天皇の軍隊」、江口圭一著「二つの大戦」、加藤周一著「戦後世代の戦争責任」。