岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「星座α」10号より:作品批評

2015年05月31日 23時59分59秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
「星座α」10号作品批評

 佐藤佐太郎は「短歌は抒情詩である。」と言い切った。そして若い頃は、図書館に通って、傾向を問わず近代詩を読みふけった。だから佐藤佐太郎の作品は、写実だが、浪漫的な主情性を持っている。浪漫派との違いは、言葉にリアリズムに通じる厳しさがあることだろう。表現の甘さを戒めたのはそのせいだ。

 「詩人の聲」で様々な作風の詩人の作品を聞いて、「抒情詩としての普遍性」を念頭に入れて作品批評を書くようになった。

 「表現する抒情の質を考えて」


 「短歌は定形の現代詩である」とは尾崎主筆の言葉。抒情詩であるからには、感想文とも説明文とも報告文とも異なる。では抒情とは何か。簡単に言えば、人間の喜怒哀楽であるが、人間や社会、おのれや他人、故郷などへの「愛しみ」であると言ってよいだろう。そういう視点から、今回は作品を選んでみた。

 (大根を煮ながら故郷の膳を思う歌)


 故郷を愛しむ作品である。その心情を表現するのに使われている、料理もそれを盛る器も効果を上げている。大鉢とあるからは大家族なのだろう。


 (流星を見て過去を思い出す歌)


 自己を愛しむ作品である。流星を見たことがきっかけとなって、自分に真向かえたのだろう。


 (蟹を食べ、酒を飲む歌)

 この作品も自己を愛しんでいる。加えて季節感があり、食材にも特殊性がある。結句の「至福の時間」という表現は、何にでもあてはまってしまう危うさを孕んでいるが、初句から四句の具体的表現によって、危険性を回避している。

 
 (東京を懐かしむ朝の歌)

 作者は奈良県在住だが、東京が故郷なのだろう。「降り止まぬ冷たい雨」が、寒々とした作者の心情の象徴として働いている。

 (大家さんと自分を呼ぶ母の歌)

 作者は母の介護をしているのだろうか。その母に対する愛しみが感じられる作品である。愛しみは、思いやり、愛情と言える。

 (丘に電波塔の立つふるさとの歌)

 故郷への愛しみが、この作品を抒情詩として成立させる条件だ。


 【著作権の関係で作品は提示しませんでした。又紙数の関係で省略した文をもとの形にしました。】

 作品批評は以上だが、この「星座α」10号の出詠歌で、「ISによる邦人人質殺害事件を主題とした連作」を完成させた。これは、6月の「詩人の聲・岩田亨公演」で聲に載せ、歌集に収録する予定だ。




最新の画像もっと見る