岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「詩人の聲」:2015年5月(1)

2015年06月01日 23時59分59秒 | 短歌の周辺
天童大人プロデュース「詩人の聲」 2015年5月


1、田中健太郎 5月2日(土)於)キャシュキャシュダール

 田中は36回目の公演。『ビル新聞』に連載している散文を聲に出した。田中の詩集『犬釘』は人間への愛おしみが作品化されたものだ。散文も同じ傾向が顕著に出ている。

 散文のテーマは、日本文学、西洋文学、音楽、など多岐に渡る。それに一貫しているのは、人間の優しさ、強さ、愛しさ、言葉の美しさへの讃歌だ。聴いていて心が温まる。

 しなやかな聲、心地よいリズム。36回の公演を重ねただけのことがある。

 最後に第二詩集から2編が読まれた。詩作品も散文も人間を深く掘り下げている。


2、伊藤比呂美 5月7日(木)於)ギャルリー東京ユニマテ

 伊藤は16回目の公演。16回目だが聲は鍛え抜かれている。聲もリズムも安定している。説教節の新訳を平凡社から刊行した。説教節は中世の語り物。山椒大夫などが語り伝えられている。能に続くもので、人形浄瑠璃(文楽)に先行するもの。

 伊藤はこれらの物語に自分の人生を重ね、普遍性のあるドラマと考えている。説教節には決まり文句の繰り返しがある。これが現代詩のリフレインとなり、話しの内容が人間の葛藤を表現している。

 文語の原作を現代語に直したのだが、文語のリズム感が失われていない。ドラマ性、リズム。説教節が見事な詩歌となった。


3、福田知子  5月8日(金)於)東京平和教会駒込チャペル

 福田は29回目の公演。前回は体調が万全でなく聲が出ていなかったが、今回は聲が出ていた。対馬で聲を出したあとに顕著だったが、京都の風土を活かした作品に独自性があるのだが、折々理窟が顔を出す。

 自然への畏敬の念、日本文化への憧憬。こういう主題の作品には福田らしさが表れているように思う。だがチェルノブイリ、人間社会への批判の目が作品の主題となると、まだ十分にこなれておらず、唐突な印象がぬぐえない。福田は文芸評論も刊行しているが、詩作品には、その知識が邪魔をしているようすが折々顔を出す。

 ここが最大の課題だろう。


4、天童大人  5月11日(月)於)NPO法人東京自由大学

 天童は52回目の公演。昨年から何度も聲に載せた「ピコ・デ・ヨーロッパの雪」が長編詩としてついに完成した。前回はゲラを読んだ。作品は出来上ったが、それに相応しい聲と読み方が出来ていなかった。

 今回は詩集となったものを聲に出した。作品に相応しい聲、リズム、抑揚を模索しているように感じた。聲を詩集の形にし、さらに聲も定まった。聲から文字、文字から聲にかえってきた。これで完成だ。

 天童は来月、数寄和で、出版記念の公演を行う。


5、飛火野椿  5月13日(水)於)ユニカギャラリー

 飛火野(ひびの)は関西在住の詩人だが関東に転居。東京での初公演だった。関西ではマイクを使っていたと言う。公演で肉声で作品を読むのは初めてだろうか。聲が割れている。マイクでは気にならないが、肉声ではかなり気になる。

 作品も雰囲気で終わっているものが多く、読んでいる時間より、髪を掻き上げたり、作品を選ぶのに原稿をくったり、立つ位置、座る位置を選んだり、ポーズをつける時間が長すぎたようだ。聲と作品と言葉を練る時間が必要だろう。

 飛火野には、なるべく多くの詩人の聲を、読み方というテクニックの問題ではなく、作品の質、聲の質の検討という見地から聞くのを奨めたい。清水弘子、川津望、柴田友理。公演回数に関わらず、回数を重ねて進境著しい詩人が多くいる。


 この詩人の聲に参加して感じたことは、詩歌には明確な抒情の性質、作品の主題が不可欠ということだ。それとリズム。これは公演で鍛えられる。





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