岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

星座α21号作品批評:斎藤茂吉と佐藤佐太郎の歌論に学んで

2020年07月10日 18時13分12秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
「星座α」21号 作品批評

今、この時に

100年に一度の感染症が世界的に流行している。かかる時だからこそ、抒情を大切にしたいと思う。今号も秀作揃いで、選歌に迷った。

 ・北欧のアイガーの草原の歌

 雄大な景が浮かび、歌柄が大きい。映像だろうが、実景を素材にしても、これだけの歌が詠める。

 ・朝の日の差し込むなかで浮かぶ記憶の歌

 ・軒下の氷柱のように生きたいという歌

 ・安楽死の認められるスイスの冷たく深い湖の歌

 ・深い寂しさを見抜いたように猫が近付く歌

 鋭敏な感覚で世界を捉え、自らを凝視している。自分を深く見詰めているのだ。それが歌の重量感となっている。難解な語をつかわなくても、ここまで詠める。

 ・かつてはなぜ君のかたわらで安堵して生きていたのかという歌

 ・スイス氷河を共に歩いた夫とハイキングをする歌

 ・分別のつく君が寂しい横顔を見せる歌

 この3首を相聞と見た。相聞は何も恋の歌ばかりではない。親しい人への信愛の情を歌ったもの。甘くなりがちだが、これらの作品には甘さが感じられない。人間への洞察力が深いからだ。それは自己を深く見つめるのと共通している。

 ・すかっと晴れる空を見ながら感染拡大の世を生きている歌

 ・寒鰤の卵を取り出す歌

 日常を素材にしても歌は詠める。要は着眼点。






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