・ゆふぐれのかぜ庭土をふきとほり散りし百日紅(ひゃくじつこう)の花を動かす・
「暁紅」所収。1935年(昭和10年)作。・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌集」190ページ。
結句の「花を動かす」は万葉集の額田王の
「君待つとわが恋ひ居ればわが屋戸(やど)のすだれ動かし秋の風吹く」
を想起させるがその上の歌調が全く違う。
先ず目立つのは4句目の破調。全体が5・7・5・10・7となっている。だが結句が7音できちんとおさまっているから、さほど気にならない。
上の句の声調も滑らかではない。初句と二句にかけてのつながりが「かぜ」で小休止するようだ。
この二つを考えに入れると、結句の古風さがただの古風さではないようだ。逆に言うと4句までの声調のデコボコが結句の一見古風なよみぶりにより収斂されるようだ。おそらく茂吉の工夫だろうが、「作歌40年」では何も書かれていない。
詞書に
「歌会の歌(子規忌歌会 9月22日於アララギ発行所」
とあるから、死者を悼むのに意図的にリズムを崩したのだろう。
佐太郎の評価。
「『ゆふぐれのかぜ庭土を』という1・2句、『散りし百日紅の』という4句は、句またがりというのでもないが、なだらかではない。やや佶屈な言い方である。そこにかえって1つの調子があって、結句とのあいだに調和あるひびきをなしている。」(「茂吉秀歌・下」)
結句の調子にふれていないが、ここはやはり結句の調子が全体をまとめていると考えてよいだろう。
岡井隆は茂吉の作品の声調についてこう言う。
「佐太郎の師である茂吉も漢語を使いましたが、佐太郎ほど(漢語を)露骨には出さないで割合上手に収めていた。」(「星座」52号)
「百日紅」を『ひゃくじつこう』『さるすべり』と場合によって読み分けるのはその一つだろう。ただ佐太郎は漢語を上手く使って硬質感を出すのに成功していると僕は思う。
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