天童大人プロデュース「詩人の聲』2015年10月
1、柴田友理(34回目) 於)キャシュキャシュダール(自由が丘)
柴田は九州の詩人だ。九州から上京してプロジェクトに参加してる。熱心に参加しているので作品も聲も進境著しい。参加詩人のなかでの成長株だ。
今回はキャンドルデザイナーの雪乃とのコラボレーションだった。このプロジェクトは不思議なもので、場によって聲の質も通りも異なる。
たくさんのキャンドルの炎に囲まれて幻想的な場となった。それはそれでいいのだが雰囲気に流された感がある。作品は幻想的なものが多かった。これも悪くないのだが事実を事実として表現した作品と幻想詩が混在している。
言葉に切れがあり、人間へのいとおしみもある。だが全体的に散漫になってしまったようだ。何やら本人も聲を出し難そうにしていた。
決して悪くはないが柴田としては不本意だったろう。次回を期したい。
2、プロジェクト「詩人の聲」と僕
僕は短歌を本分としている。「短歌は抒情詩だ」と佐藤佐太郎は言った。「短歌は現代の定形詩だ」と尾崎左永子主筆は言う。
佐藤佐太郎は若い頃に図書館で詩集を読みふけった。尾崎左永子も現代詩への造詣が深い。だが僕は現代詩を読むのが苦手だった。何故か。理窟で読んでしまうのだ。学校の詩の授業とそれに対応した学習指導を学習塾で長年行って来たためだろう。擬人法、比喩、こうした技法と作品の主題を考えて解釈してしまう。
だが詩歌で最も肝心なのは抒情を感じ取ることだ。理窟は後でいい。このプロジェクトの参加詩人の聲を聴き始めて10回を越えた頃からだ。聴いていると抒情の方から心の中に飛び込んでくるようになった。
だから短歌の読みや受け取り方も変わって来た。「星座」「星座α」で選歌添削をするときにいたく時間がかかっていた。選歌に時間がかかるのだ。どの作品をとり、どれをとらないか考えるのだ。
しかし抒情の方から飛び込んでくるようになって、選歌がはやくなった。添削指導に時間をかけられるようになった。
「詩人の聲」は作者が作品を一時間に渡って音読する。詩集一冊分の分量だ。「詩人の聲」に聴衆として参加する回数が180回を越えた。詩集180冊を読んで味わったのと等しい。
これは大きな収穫だ。「星座」新年号にもこのことを書いた一文を掲載する。