岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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平清盛と源頼朝

2012年02月26日 23時59分59秒 | 歴史論・資料
・大海の磯もとどろに寄する波われて砕けてさけて散るかも・源実朝

・人丸の後の歌よみは誰かあらん征夷大将軍みなもとの実朝・正岡子規

 この源実朝は鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男。鎌倉と短歌は意外と縁がある。だから「平清盛と源頼朝」の記事も短歌を中心としたブログに、ふさわしかろう。

 平清盛。桓武天皇を祖とする桓武平氏の一族、伊勢平氏の棟梁。伊勢は今の三重県。桓武天皇のひ孫の高望王(たかもち王)が平の姓を受けて平高望(たいらのたかもち)と名乗って、関東に下向。荘園を経営し、多くの男子をもうけた。その一族に平将門もいるのだが、その従兄にあたる平貞盛は伊勢に所領を得て移住。「伊勢平氏」と呼ばれた。ほかの一族は東国に残り、三浦、和田、大庭、梶原、畠山、稲毛などを名乗った。

 伊勢平氏は代々「院」に仕え都で出世した。NHK の大河ドラマではこれを「王家の犬」と呼んでいる。歴史用語では「軍事貴族」だが、出世は源義家の源氏に比べるとかなり遅れた。

 源頼朝。清和天皇を祖とする清和源氏の一族、河内源氏の棟梁・源義朝の三男。河内(今の大阪府)に所領を持ち、代々摂関家に仕え「軍事貴族」として財をなして来た。源義家のとき、陸奥の守などを歴任し、関東の武士を多く配下としたが、義家の長男、義親が反乱を起こして衰退。その孫の義朝が東国へ下り、再起をはかった。その根拠地が鎌倉。

 ほかに摂津に所領を持ったのが摂津源氏で、源頼光・源頼政らがいる。平家物語に出てくる「源三位(げんざんみ)頼政」はこの源頼政である。また新田、足利、吉良、山名、佐竹、武田。ともに清和源氏の一族だ。

 つまり源平の双方とも一族・支流が多く。そのなかで、清盛と頼朝の家が「本家」に当たるのだが、時は公家から武家への政権交代がなされる時だった。「封建革命」と学会で呼ばれた時期もあったが、鎌倉幕府の時代、室町幕府の時代を通じて、公家の権力は残っていて、公家権力が最終的になくなったのが、応仁の乱を経てと言われる。(南北朝時代であるとの学説もあるが、それは保留。)

 鎌倉幕府成立(1192年)から、応仁の乱(1467年)まで260年近くあるが、そのような長い期間をへて、公家から武家へ権力が移ったのだ。まことに「長いゆるやかな封建革命」といって差し支えないと思うが、この間、武家と公家が直接武力衝突したのは、1221年の承久の乱のただ1回。

 ところで源頼朝の鎌倉幕府が、武家政治の始まりと一般的に言われ、平清盛がそう呼ばれないのには理由がある。現代の政治と二重写しになるが、清盛は政権交代を果たしたが、具体的な国家構想がなかった。それに対して頼朝には国家構想があったのだ。鎌倉に居を構え、政治顧問として、大江広元、三善康信を京より招いた。そして鎌倉に幕府を開く。

 武家の権力の基盤は、御恩と奉公で結ばれた在地の武士と将軍との主従関係が基本である。将軍と主従関係を結んだ武士を御家人という。

 平氏は西海を中心に「家人」を配置するが、それを統割する独自の機関をもたず、主従関係も清盛個人とのものという性格が強かった。これに対して鎌倉幕府は関東を中心に「御家人」を配置し、幕府の侍所がこれを統割した。

 平氏は王朝貴族と同じく朝廷での官位の昇進によって権力を握ったのに対し、源頼朝の鎌倉幕府は幕府という独自の機構を持つことによって、御家人との関係を深めた。承久の乱ののちは、その御家人が西国の公家の荘園にまで地頭として送りこまれ、徐々に公家の領地を侵食していく。「泣く子と地頭には勝てない」という諺はここから来ている。地頭には兵糧米を徴収する権限があり、地頭に任命される(これを地頭職・じとうしき・を与えられるという)のは、将軍が与える御家人への恩賞だった。そのかわり御家人は将軍に奉公する。

 この強固な御家人制度が鎌倉幕府の権力基盤だった。王朝体制に組込まれた「平氏政権」との決定的違いはここにある。

 財政的にも違いがある。「平氏政権」は平氏一族の個人に与えられた所領が基盤だったのに対し、鎌倉幕府は将軍という職に与えられた、関東御領、関東御分国が財政基盤。それを政所という幕府の機関が管理した。

 だから平清盛は政権を簒奪したが、その後の国家構想がなかったのである。「平氏政権」は一般に「院政」の一形態と言われ、古代末期の政権といわれる。

 ちなみに鎌倉幕府の将軍の正式名は征夷大将軍だが、これは奥州藤原氏がらみの鎮守府将軍の上のものとして頼朝が望んだとされる。これ以降、武家の棟梁は源氏であり、幕府を開けるのは源氏の一族で征夷大将軍に任命された者に限られるようになる。

 このように歴史を学んだのが、僕の短歌とどう関係があるかは、また別の記事にしたいと思う。(明日)

参考文献・石母田正「古代末期政治史序説」、大橋喬平著「鎌倉幕府」、五味文彦著「鎌倉と京」、高橋富雄著「奥州藤原氏四代」、永原慶二編「日本史を学ぶ2・中世」、歴史学研究会編「日本史年表」。






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