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岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

想定外:原子力災害を象徴する言葉

2012年05月06日 23時59分59秒 | 政治経済論・メモ
東日本大震災を通じて「想定外」という言葉を何度聞いただろう。津波の高さ、断層のずれの範囲、震源域の広さ、震度の大きさ、そして原子力災害の発生、水素爆発、メルトダウン、メルトスルー、放射性物質の拡散。

 これらの見通しが甘かったのが、明らかとなった。というより隠せなくなったということだろう。

 ではどこがどう変ったか。

 先ずは津波の高さ。数メートルから、10メートル、20メートルへと想定が変えられた。

 具体的には静岡の浜岡原発。ここでは砂丘が防潮堤になり得ないと言われ始めた。原発の再稼働にストップがかかっている。もともと砂丘はもろくて、多少の植樹をしても土盛とは比べられない。

 大阪の臨海部のコンビナートでも、津波火災が想定され始めた。津波により臨海部のコンビナートから原油や天然ガスがもれて引火し、その炎が津波とともに内陸の市街地にまで及ぶのが、「津波火災」。実際に今回の被災地で起こったのだが、大阪で起れば、20万人の人々の暮らす地域に被害が及ぶ。


 次に地震の規模を示すマグニチュードの想定。まるで合言葉のように言われていた「関東大震災クラスの地震でも」という言葉をさっぱり聞かなくなった。マグニチュードの想定も7~8ではなく、最大9というのが普通になった。
 
 ふたつ以上の震源域の活断層が連動して動き、大規模地震をおこす可能性があることが明らかになったからだ。大正12年の関東大震災を超える地震がおこっても少しも珍しくないことが、いわば常識となった。

 
 それから首都直下地震の規模の想定。プレートの境目が想定より10キロほど浅いことが分かった。当然、震度や被害の予想も大幅に変更された。東海地震も同様だ。地震による揺れは、従来の予想より大きく想定されるようになった。


 最後に過去の地震の記録の掘り起こし。神奈川でいえば、鎌倉大仏が津波によって、大仏殿ともども壊れたという記録に光があてられ、神奈川県や市町村のハザードマップが見直されている。


 しかし想定が依然として甘いのは、原発の最稼働の基準。さしあたっての焦点は大飯原発の最稼働の問題。政治決断・政治判断で最終的に決定されると聞いたが、安全性の問題が中心ではなかったか。多くの人、政党、市民団体、京都府知事や滋賀県知事までが声をあげている。やや刺があるが大阪府知事、大阪市長も同様だ。

 さまざまな人が、さまざまな方法で声を挙げている。一方的な政府発表を鵜呑みにする人はもはや、そう多くはいないだろう。

 フェイスブックの友人が福島第一原発の現地レポートを書いて公開している。「原発のある所だけではない。みなが当事者なのだ」。また30年来の友人は、放射性物質の測定器を手に要望のあるところへとんでいっては測定し、その結果をHPに公開。ツイッターで1000回ちかく情報を発信し、そのフォロワーは4万人を超えている。ひとりは首都圏、別のひとりは関西に住んでいる。

 敦賀原発が活断層にはさまれていて、こともあろうか、原子炉の真下に活断層の可能性のある地割れがあることもわかってきた。(「朝日新聞」)これも「連動してずれる」可能性を考えて、震度の想定がやり直されるということだ。

 もともと日本語には「お上の決めたこと」という言葉がある。言葉があるということは、そういう考えがあったということだ。戦前の「大本営発表」がまかり通ったのも原因の一つだったのだろう。

 だが今や日本人がそれぞれの方法で情報を集め、取捨選択して判断している。「その国に民主主義が定着するには、その国の人が変らなければならない」と中東や中国を例に言ってきたが、日本も例外ではないらしい。

 今、日本の民主主義が問われている。心からそう思う。

 そして今夜。北海道電力の泊原発が定期点検のため稼動を中断した。今、一時的ながら日本に稼動している原発はゼロである。



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