「角川短歌」編集部から原稿依頼が届いた。新作7首。作品のストックがあるので、どのようにでも「主題」は設定出来る。さて、どうするか。
正直言って戸惑っている。「短歌」5月号で歌集の書評が載ったが、思わぬ批評だった。読者からの葉書、手紙にあった作品と、かなり違った作品が取り上げられた。
オーソドックに詠むか、震災にからめて詠むか。東日本大震災から一年余。もはや東北、北関東、千葉、臨海部の土地の液状化のあった地域だけが、当事者ではない。
地震の被害や、福島第一原発の原子力災害の全体像が見えてくるにしたがって、考えや、感じ方、表現したいことも固まった。あとはどうやって抒情詩に昇華、感情の濾過、どの具体の捨象をするかという表現上の工夫だ。
はっきり言って、この間の「震災詠」を読むたびに、どうもしっくりこない感じだった。それは同時に「自分ならどう表現するか」という自問自答でもあった。
「短歌が複雑な思想・感情を盛り得ないようにいうのは、完全な見方ではない。思想・感情を盛り難いという事はいえるけれども、不可能なことではない。現代の秀れた歌人はそれを実行している。(それが不可能のようにいうのは「詩」を胸で受け取ることの出来ない批評家か非力で怠惰な歌人である。)」(「純粋短歌論」)
あまり知られていないが、佐藤佐太郎もこう規定している。( )は初版本にあり、二00五年の「短歌を作るこころ」では削除されている。
おそらく、前衛短歌、「思想詠・社会詠」と呼ばれるものと佐太郎の考える叙情詩が掛け離れていた事を反映しているものだと思われるが、そういう事を踏まえていれば、「震災詠」も可能だと僕は考える。
佐太郎にも次のような作品がある。
・戦はそこにあるかとおもふまで悲し曇のはての夕焼・「帰潮」
・拳銃はつとめの故に帯ぶといへど「一切の者刀杖を畏る」・「帰潮」
・忽ちにして迫りたる戦ひを午後に伝へし日のゆふまぐれ・「帰潮」
・砲弾の炸裂したる光には如何なる神を人は見るべき・「帰潮」
・放射能ふくめりといふ昨夜きぞの雨いま桃の木に降りそそぐ雨・「地表」
・砂糖煮る悲劇のごとき匂ひしてひとつの部落われは過ぎゆく・「群丘」
一首目。中国の内戦を意識している。美しくも悲しい叙景歌。朝鮮戦争前夜の西の空の彼方。中国では激しい内戦が続いていた。
二首目。武器を放棄したはずの日本の警官が、白い杖、次いで拳銃を持つようになったことへの違和感と批判と。
三首目・四首目。朝鮮戦争開始の時の作。当時、少なくない人が「第三次世界大戦」を恐れたというから、映像短歌だが、切迫感がある。
五首目。冷戦の激化による核実験の雨に含まれている放射能の恐怖と桃の木に託した祈りと。大騒ぎだった1954年。この年のビキニ環礁の水爆実験を受けての歌。
六首目。奄美大島の厳しい歴史に思いを馳せている。薩摩と琉球との両方に支配された奄美大島の悲劇。
要は「映像短歌」であっても、作品の質の問題なのだ。だから「震災詠」を再び詠んだ。7首詠んだ。
これと、手堅い叙景歌を7首と。二つの原稿を手にどちらを封筒に入れて投函しようか。
今、考えている。どちらにしようかと。
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