・流氷のたゆたふ黒き潮流氷にたゆたふ黒き潮納沙布の海・
「冬木」所収。1962年(昭和37年)作。
破調の歌であり、佐太郎には珍しい。5音・9音・5音・9音・7音。しかも結句をのぞく「5・9/5・9」がリフレインとなっている。「の」と「に」の違いがあるのみ。三行書きにしてみる。
流氷のたゆたふ黒き潮
流氷にたゆたふ黒き潮
納沙布の海
まるで自由詩だ。「たゆたふ」を「漂う」にすれば、口語自由詩になる。(「たゆたふ」については、別の作品の自註で「『ただよう』でもよい。無理に文語にしなくてもよい。」と言っている。「作歌案内」)
「の」と「に」との違い。「潮」と「流氷」と、どちらがどちらに「漂わされている」のか、一面の海に流氷が漂っていればわからない。「の」だと「潮」が主体で、「に」だと「流氷」が主体。
科学的に言えば「海」に「流氷」が「漂っている」のだが、それは理屈。実際に見たところを詠んだのだろう。
佐太郎の自註。
「崎の潮は動き、流氷も動いている。潮を主にしていえば、流氷にしたがってただよっている。流氷を主にして見れば、潮は氷にあたって動いている。『の』と『に』という二つの助詞をつかいわけただけの遊びのようだが、そこに興味の中心があるのではない。少しの言葉で多くのことを言うのは表現のよろこびでもある。こういう手法はまれにあるからよい。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)
こういうのを「破調が効いている」というのだ。言葉をかえれば「必然性のある破調」といえよう。