「寺山修司 試論」-時代と格闘した詩人ー 「短歌研究評論賞」候補作
寺山修司の第一歌集は『空には本』は、1958年に刊行された。彼は1954年の「短歌研究」50首詠で歌壇デビューし、それ以来の初期の作品が収録されている。
この時期は、国内では造船疑獄で検事総長の指揮権が発動され、自衛隊の創設や米軍砂川基地反対闘争、社会党の統一、保守合同があり、勤評闘争、警職法反対闘争などとともに、日本共産党が第6回全国協議会、第7回党大会を通じて、極左冒険主義に決別するなどの事件があった。国際的には、朝鮮戦争とその休戦協定締結、スターリン批判、ハンガリー動乱、スエズ動乱があった。このような時代を投影したとみられる政治的比喩の豊かな作品群が収録されている。
蝶とまる木の墓をわが背丈越ゆ父の思想も越えつつあらん
アカハタを売るわれを夏蝶越えゆけり母は故郷の田を打ちていむ
作文に「父を還せ」と綴りたる鮮人の子は馬鈴薯が好き
外套の酔いて革命誓いてし人の名知らず海霧ふかし
激動の時代を生きる人間の心情が暗示されており、祖国、鮮人などの政治性の高い用語に、社会性、思想性がかいまみえる。にもかかわらず、寺山は左翼歌人とは呼ばれない。なぜならば、革命的言辞を詠みこむことなく、暗示、連想を最大限活用しようという、象徴詩、モダニズムの影響、塚本邦雄や岡井隆との表現上の類似点が見られるからである。
第二歌集の『血と麦』は1961年に刊行された。第一歌集と第二歌集との間には次のような事件があった。
国内では安保改定阻止国民会議が活動を始め、三井三池炭鉱争議も始まった。自衛隊が違憲であるとの伊達判決が下され、社会党委員長の浅沼稲次郎が右翼のテロにより刺殺された。国際的にはキューバ革命があり、韓国でも4月革命があった。こうした事件を投影していると考えられる政治的な作品が『血と麦』には収録されている。
缶切りにつきしきみの血さかさまに吊るされており干からびながら
砂に書きし朝鮮哀歌春の波が消し終わるまで見つめていたり
すこし血のにじみし壁のアジア地図われらも揺らるる汽車とおるたび
老犬の血の中にさえアフリカは目覚めつつありおはよう、母よ
事件が直接詠みこまれることはない。だが第一歌集と同様に、暗示、連想、象徴、暗喩を駆使した作品が展開される。
そして見逃せないのは「血」というキーワードが多用されることだ。60年安保では、学生の国会突入のため樺美智子が死亡し、キューバ革命でも血が流れた。これが寺山の作品に投影しているのは間違いなかろう。
(後略)
*審査員の批評に対するコメントは後日投稿する*
