岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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斎藤茂吉・左千夫忌に歌を詠む:斎藤茂吉の短歌

2011年07月04日 23時59分59秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
・くれなゐの牡丹の花は散りがたにむし暑き日は二日つづきぬ・

「白桃」所収。1933年(昭和8年)作。・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌集」173ページ。

「作歌40年」「白桃・後記」にも自註はない。佐藤佐太郎著「茂吉秀歌・下」、長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」にもとりあげられていない。目立たない作品だ。

 詞書に「左千夫忌」とあるが、作品中に「左千夫」「先生」の言葉がない。「左千夫忌」の作品はあと二首ある。

・君がをしへ受けつるものも幾人(いくたり)か既に身まかり時ゆかむとす・

・この世にしいまさば七十歳(ななそぢ)の翁になりていましたまはむ・

 伊藤左千夫の教えを受けた者は、島木赤彦はじめこの世を去ってしまった。その愛惜が冒頭の作品の初句から四句目までに暗示されている。「くれなゐの」「散りがた」「むし暑き」がそれである。特に「むし暑き」は息苦しいほどだ。

 暗示は茂吉の歌論の核のひとつだが、それが効果をあげている。

 伊藤左千夫と島木赤彦・茂吉の論争は、「写生」の捉え方、「調べと内容の関係」にしても、のっぴきならないものだった。しかし、伊藤左千夫なくば「アララギ」がまとまらなかったのも事実だ。

 しかし「心酔」した師と違い、思いも複雑だったろう。だからこそ左千夫の死を聞いて、茂吉は暗い道をひた走ったのだ。「赤光」初版も左千夫の死を聞いた悲報来から始まっている。

 それから20年の月日が経った。やや大袈裟にいえば、まさに「恩酬の彼方に」である。自分を含め、「アララギ」を支えた島木赤彦・土屋文明は伊藤左千夫の直弟子。「アララギ」隆盛の基礎を作ったのが伊藤左千夫であることに間違いはない。

 冒頭の作品に比べ、残りの二首は形式にはまった感じがぬぐえない。冒頭の作品だけが、文庫本に収録された理由もこのあたりにあるのだろう。

 目立たないと言っても、冒頭の一首は歌会にかければ、高く評価されるだろう。用語が古風なのは別として。それが作歌時の「現代短歌の用語」だったのだ。それをあれこれ言うのは、作品理解としては少し違うと思う。

 それにしても目立たなく、平凡な作がこの水準である。やはり斎藤茂吉は「近代短歌の巨人」だ。岡井隆・塚本邦雄の前衛歌人が熱心に茂吉を読んだのもむべなるかなだ。





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