岡井隆監修「岩波現代短歌辞典」から。
「近藤芳美:歌人。戦後派歌人の旗手であり、第2次大戦後の歌壇に新しい理念を問い、それをリードした。中村憲吉のち土屋文明に師事。・・・」
中村憲吉の死後、土屋文明に師事したのだが、土屋文明のリアリズム短歌(写生=リアリズム写生)の影響を強く受けている。それをさらに社会詠・思想詠に発展させていった。戦争体験への厳しい批判精神が根底にある、と僕は思う。
・国論の統制されて行くさまが水際たてりと語り合ふのみ・
・世をあげし思想の中にまもり来て今こそ戦争を憎む心よ・
・傍観を良心として生きし日々青春と呼ぶともなかりき・
以上のような作品には戦時下の思想統制のもとで、みずからの意思を押し殺した苦い経験が詠われている。
戦後、社会の深層を積極的に詠んだ。それが次のような作品である。レッドパージ、安保闘争、平和宣言など。
・講座捨て党に行く老いし教授ひとり小さき一日の記事となるのみ・
・みづからの行為はすでに逃る無し行きて名を記す平和宣言に・
・何につながる吾がいとなみか読まざれば唯不安にてマルクスを読む・
・戦争を拒まむとする学生ら黒く喪の列の如く過ぎ行く・
これらは「思想詠」ともいえる。
しかしそれだけではない。土屋文明が「抒情歌人からリアリズム歌人へ」変貌していったように、近藤芳美もまた、抒情歌人の姿がかいま見える。
・たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき・
・果物皿かかげふたたび入り来たる靴下はかぬ脚雅(をさな)けれ・
・あらはなるうなじに流れ雪ふればささやき告ぐる妹の如しと・
これらの作品は初々しい「相聞」の歌である。近藤芳美の「社会詠・思想詠」の基礎には、このような抒情の感受がある。
しかし、その抒情には、一種の「弱さ」がある。「唯不安にてマルクスを読む」。マルクス主義者が聞いたら、違和感を感じるだろう。
「従来の哲学は世界を解釈するだけだったが、マルクスの哲学は世界の変革を目的とする」(たしかエンゲルスの言葉だったか。)
こういう傾向を指して、「近藤さんは深入りしない人でしたから」という。(岡井隆著「私の戦後短歌史」)
「社会や思想を詠むのは結構だが、ポエジーがない。」とは晩年「短歌研究」の読者投稿のコメント欄にあった言葉だったと記憶している。近藤のとっての抒情には社会や思想も含まれていたのだろう。その「ポエジー」の質は「深入りしない・距離をとる」というものだったとも言える。そこが近代短歌になかった近藤の独自性だったのだろう。