・舗装せる道路のうへを余響をもちて小型のタンクとほりゆきたり・
「暁紅」所収。1936年(昭和11年)作。
語意:「タンク(=戦車)」。だがここでは一般道を通っているらしいことを考えると、キャタピラのある戦車ではなく装甲車の類だろう。ともあれ戦時下を思わせる。
茂吉の自註から。
「晩秋初冬の写生であるが、皆底にひそむ哀感を伴ってゐるやうである。・・・この頃は、小型のタンクでも自分等の心を牽いたものである。『余響』の文字はこれまでも屡(しばしば)使った。この語は余韻などと共に昔からあった語であるが、ナハラングの語感などと融合して、新しい感んじの御と表出したと看做していい。」(「作歌40年」)
「小型のタンク(=戦車)でも」「心を牽」くというのは、それに乗っている人間を思い。行く先である戦場を思い、その先をも思うのであろう。だが現代の視点から見るとやや切迫感に欠ける。戦時下の歌としても、いま一つ、という感じがする。
当時の人と「タンク」の印象がまったく異なるからだろう。ただし「余響」という語の語感は新鮮だ。ここが秀歌かどうかの判断のわかれるところである。「見えるののを詠む」のを基本とする「写生・写実」の難しいところでもある。
そのせいか、佐藤佐太郎、長沢一作、塚本邦雄も「茂吉の秀歌」としてはあげていない。だがそれに反して茂吉が「作歌40年」歌集の「巻末記」にもとりあげているところをみると、自信作だったようだ。ここに作者の意図と読者のうけとりの乖離がある。自分の秀歌は自分では見つけ難い。
この作品は「晩秋小歌」との副題がついていろが、次のような作品もある。
・うづたかく並べる菓子をみてをれど直ぐに入りつつ食はむともせず・
・恋愛の映画見てひとり帰りくる道の上にしてはや淡々し・
・満州より凱旋したる一隊を恋(こほ)しむがごと家いでにけり・
・金網のひびききらひて鼠らが逃げゆくなどと誰かいひたる・
・み山よりくだり来れる小鳥らはいのち安けく日もすがら鳴く・
・椋鳥は幾百となく鳴きさけぶ警(いまし)めて鳴く声ならなくに・
・小鳥らの親しみて鳴くこゑ聞けばわがひとり行くこころ悲しも・
出来としてはこの6首目のほうがいいと思うのだがどうだろう。