2011年3月11日の東日本大震災は、科学のありかたを根本的に考えさせられるきっかけとなった。未だに幾多の疑問が持ちあがっている。
第一。原発の安全性。放射線を防ぐのに五重の壁があるとされた。
1・燃料はむき出しではなく、ペレット状(棒状に焼き固める)に加工されている。
2・それを被覆管という金属製の管の中に入れ、その燃料棒を水のプールに漬け、放射線を遮断する。
3・それが原子炉圧力容器に入れられている。
4・さらにそれを原子炉格納容器に入れる。
5・それをまた、頑丈な鉄筋コンクリートの建屋が覆っている。
だがこの五重の壁は外部電源喪失と水素爆発で文字通り吹き飛んだ。あるはずのない水素爆発によってである。
第二。食品の安全性。どうやらこれなら絶対安全というものはないようだ。「自然界から一年に受ける放射線が2・4mシーベルト」「レントゲンやMRIなどの医療機器でも被爆する」というが、それ以上になるとよくわからない。だから暫定基準なのだ。なるべく低く設定するにこしたことはない。基準が定まらない時には不安が増大する。
被災地の瓦礫処理を受け入れるのに手をあげた静岡県島田市は、町内会の会長がまとまって被災地の瓦礫の山を実際に見て、市も瓦礫の一部を市民の目に触れる所に展示して、自由に放射線量を測定できるようにして受け入れの理解に努めているという。放射線は目に見えないから不安なのだ。測定値を公開して「見える」ものにすれば、不安は軽減する。
第三。放射線の測定方法。生協は独自にベクレル測定の機器を購入したそうだが、これを生産、流通、販売の過程でできないものか。ベクレル測定は時間がかかるが、シーベルト測定は比較的容易にできる。シーベルトをベクレルに換算する公式がある。放射性物質によって係数がちがうのだが、放射性物質の出どころは分かっている。ならば今出ている可能性のある放射性物質を公表して、手許のスイッチで数種類の放射性物質の量をはかるのも可能だろう。
とりあえず、セシウム・ヨウ素、プルトニウムなどあれば。簡易検査になるだろうが、現在の検査と組み合わせれば信頼度が上がる。そうした機器を開発し大量生産する力を日本は持っているはずだ。
第四。除染の問題。除染しても放射性物質がなくなる訳ではない。どこかへ移動しそこに集積される。これが問題なのだ。かねてから原発は「トイレのないマンション」に例えられたことがあるが、それならそのようなものをなぜ作ったか。最終処分といっても、保管するだけだ。どこに?どのくらいの期間?これがわからない。
最終処分などと言わずに、正直に「保管」と言えばよいものを。まだ「最終処分法」が確立していないのは、今では誰でも知っている。誰でも知っていることをおかしな言葉で言うから、公式発表を信じない人も出てくる。
いま起っていることは、現在進行形の深刻な「歴史」だ。だが人間は歴史から学ぶことが出来る。選択あるいは決断の時とは言えまいか。
僕は、全国すべての電球をLEDにかえて、発電を小規模分散型にし、さらにライフスタイルを節電型にかえていけば、原発は必要ないと思う。超伝導のケーブルで深夜の国から、真昼の国へ送電する褠想もある。こういう叡智を集めれば脱原発も不可能ではない。
これが書籍、新聞記事、ネット検索で情報を集め、去年の3月11日から一切自宅でエアコンを使わなないで過ごした僕の結論だ。