岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「詩人の聲」:2015年6月

2015年07月15日 23時59分59秒 | 短歌の周辺
天童大人往路デュース「詩人の聲」2015年6月

 1、竹内美智代 6月2日(火) 於)ギャルリー東京ユニマテ

 竹内は34回目の公演。鹿児島弁を駆使した独特な世界を構築している。故郷への愛情、親の愛情、家族への愛惜。作者の周辺の人間を描いている。川内原発、従軍慰安婦、傷病兵、原爆、戦時下の徴用、宇宙基地など社会的視点も鋭い。今の国の在り方を問うている。

 それらが解説や説明にならないのは、言葉のリズムがあり、余剰を排し、抒情を絞り込んでいるからだ。聲の質も透明感と愛情が感じられる。詩のフォルム、コンテンツともに独自のものだ 。


 2、長谷川忍 6月9日(火) 於)スター・ポエッツ・ギャラリー


 長谷川は28回目の公演。聲がしなやかで、リズムがある。心地よい言葉で繊細な感性を作品化している。都市を背景とした人間たちを表現しているが、前回より掘り込みが深い。時には哲学的思考に及ぶが、決して理窟にならない。

 それは人間の捉え方、把握の仕方が、深いからだろう。長谷川のフェイスブックのタイムラインの写真には、街の写真が多い。そこには物語性を感じさせる。表現内容が長谷川の世界観から滲み出ているようだ。


 3、原田道子 6月10日(水) 於)ギャルリー東京ユニマテ

 原田は49回目の公演。作品はアニミズムそのものだ。人間が自然と一体化している。現代語の会話体と文語を混合しているが、違和感がない。何度も聲に出して到達した文体だ。アニミズム的発想も作者の世界観から出ているので、理屈でなく、不自然さがない。

 それでいて現代社会への鋭い視点がある。現代文明への批判が作品化されている。作者はかつてウパニシャット哲学を深めたそうだが、ものの見方が知識ではなく、作者の人格に刻印されているからだろう。


 4、紫圭子 6月12日(金) 於)ギャルリー東京ユニマテ

 紫は34回目の公演。原田がアニミズムであるのに対して、紫の作品世界はシャーマニズムだ。聲に重厚感があり、リズムも揺るぎない。あたかも巫女の聲を聴いているようだ。日本の神々への讃歌。自然を崇拝した古代日本人の心。

 こういったものを作品化している。現代語、外来語、漢語で日本の伝統を感じさせる。文体(フォルム)は現代だが、内容(コンテンツ)は古来の日本文化。詩歌を文体論だけで論ずることが無意味なことを思わせる。


 5、飛火野椿 6月13日(土) 於)キャシュキャシュダール

 飛火野は2回目の公演。タイトルをハッキリ読み、一篇一篇を丁寧に読む。それはいいのだが、聲を出すよりパフォ‐マンスが多すぎる。聲が途切れる。一時間読み続ける聲が出来ていない。

 作品も人間の掘り下げが浅い。安っぽい携帯小説のようなものが多い。散文的でもある。関西で行っていた、マイクパフォーマンスでは、誤魔化せることが、肉声は誤魔化せない。ここを考えて欲しい。


 6、岩崎迪子 6月17日(水) 於)キャシュキャシュダール

 岩崎は25回目の公演。柔らかい言葉で、深い内容を表現している。決して難解語で胡麻化したりはしない。聲に安定感があり、リズムが揺るぎない。

 新作も読まれたが、人間の生き方を問い、社会への鋭いまなざしがある。

 現実に生きる人間に立脚した作品群だ。


 7、文屋順 6月19日(金) 於)東京平和教会

 文屋は7回目の公演。わざわざ耳で聞いて分からない言葉を選んで使っていると、作者本人が言うように、意図が出過ぎた作品群だ。

 この日読んだのは旧作。旧作をすべて吐き出したときに新しい地平が見えるだろう。


 8、柴田友理 6月20日(土) 於)キャシュキャシュダール

 柴田は32回目の公演。聲に力があり、リズム感にあふれている。作品も様変わりした。現実の人間や社会を暗示させる作品となってきた。

 人間の葛藤、社会への鋭い批判。こうした素材が重厚感あふれた作品となっている。







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