「運河の会」かながわサロン 2015年7月11日 於)戸塚女性フォーラム
かながわサロンは少人数の歌会だ。作品批評会、研究会でもある。少人数なだけに遠慮なく忌憚なき意見交換ができる。
そして最近の特徴なのだが、作者の独自性が鮮明に現れるようになった。日常詠が得意な人。心理詠が得意な人、斜に構えたものの見方をする人。さまざまである。
僕はこの批評会で鍛えられた。作品の批評には先輩も後輩もない。作品の質が高いかどうかにかかっている。「何を以って抒情詩」となすか。よく分からない時期が続いた。「詩人の聲」に参加して、作品批評の基準が定まった。
短歌は5,7,5,7,7の定形詩だ。言葉を上手く運べば、リズム感のよい作品となる。このリズムは定型詩の強みだ。だが同時に弱みでもある。定形に当てはめれば形になってしまう。
そこで大事なのは、ものごとの切り込みの角度と、作品の主題だ。抒情の質と言っていい。これがハッキリしないと、感想文、説明となってしまう。
例えば固有名詞の扱い。固有名詞には、作品の印象を固定化してしまう機能がある。佐藤佐太郎の作品に固有名詞が少ないのはこのためだ。
抒情の核心部分だけを残して、余剰は捨象する。捨象して言葉と表現を絞り込む。これを佐藤佐太郎は、「表現の限定」と言った。
これが佐藤佐太郎の言葉だけだったら単なる事大主義。だが佐藤佐太郎の言葉が、尾崎左永子の作品に現れていたり、「詩人の聲」の詩人たちの口からきくと、抒情詩としての普遍性があるように思う。
ぼくの創作活動での位置は、「運河」「星座」「星座α」の歌会(作品批評会)に出した作品「詩人の聲」で聲に出す。聲に出してさらに練り上げる。
とりわけ始めの作品批評会は重要な位置を占めている。
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