岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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海沿いの砂丘を詠う:斎藤茂吉の短歌

2011年09月13日 23時59分59秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
・いろも無くよこたふ砂の山にして鹿島の海は黒く見えたる・

「暁紅」所収。1935年(昭和10年)作。・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌集」187ページ。

 茂吉の自註から。

「下総利根川べりを旅した時の歌である。・・・この砂丘から鹿島の海が黒くなって見えるのが色の対照をなしてゐるといふよりも二つの色そのものを詠じた。また浮かんでくる写象は立体的である。」(「作歌40年」)

 茂吉はこう言うが、砂丘の白と海の色の深さの対照は印象鮮明だ。おそらくは対照的なものを二つ意図的に持ってきたのではなく、鮮明な印象を詠ったということだろう。つまり二つのものを詠んでいるのでなく、鮮明な一つの印象を詠んでいるのだろう。当然作者は砂丘に立っている。砂丘の白は近景で海は遠景である。そこで立体的といったのだろう。

 一見平凡な歌だが、茂吉の写生の特徴をしっかりふまえている。「立体的」「印象鮮明」がそれである。「白と黒との< 二物衝突 >とも言える。

 佐太郎はこの歌を直接とり上げていないが、歌の背景を書き残している。

「昭和10年1月、千葉県銚子の方に旅行したときの作で、歌集< 暁紅 >の< 平野 >という一連の中にある。これは小見川から利根川を渡って、当時海軍の演習場になっていたあたりの砂丘を歩いたときの歌である。・・・< 暁紅 >では< 白桃 >のきびしさを通過して即物的に平静な歌が多くなる・・・このときは小見川で一泊して、翌日銚子から外川の方に遊んだのであった。山口茂吉氏と私(=佐太郎)とが随行した。」(「茂吉秀歌・下)

 冬だったのか。冬の海は殊に黒く見える。日本海も太平洋もそうだ。平明な歌だが平板な歌ではない。「おもむくままにおもむいた歌」と佐太郎はこの時期の茂吉の作風を言うが、「赤光」に見えた「理想派=感覚派」的な要素は見えない。「汎神論的」なところもない。ただ自然に言葉が流れていくようである。

「赤光」の時期に「君は写生の歌は苦手のようだな」と長塚節に言わしめた傾向を完全に克服したかに見える。この歌境が「白き山」の絶唱を準備したように思えてならない。

 それと最後にひとつ。茂吉といえば「山の歌」が多いが、「山の歌」=「山岳信仰」=「汎神論的」というそれまでの傾向が、海を詠ったことによって「無」に戻ったのかも知れない。誤解をおそれずあえて言えば、信仰は時に精神の呪縛となる。

 なお茂吉の山の歌については、岡井隆著「茂吉の短歌を読む」に詳しい。





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