岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

佐藤佐太郎の短歌作品の表記

2010年05月07日 23時59分59秒 | 茂吉:佐太郎総論
佐藤佐太郎の短歌作品の表記には独特の特徴がある。こだわりとも言える。思うままいくつか挙げてみた。


1・語句の発音・声調・語感を考慮したもの。

・動詞「来」の連体形「来し」を「こし」と読ませる・・・本来は「きし」と読む。「来し方行く末」は例外的に「こし」と読むが、佐太郎はこれを一般化して使った。「きし」はイ段が続き、語感が固いためにとった措置だろう。

・推量の助動詞「む」を「ん」と表記する・・・終戦のころから表記を「む」から「ん」に変えた。アララギから独立して佐太郎自らが判断したものと考えられる。実際の発音は「ん」であるから、音韻を優先したようだ。

・過去の助動詞「き」の連体形「し」を完了の意味で使う・・・国文法から言えば助動詞の「き」に完了の意味はない。用例をいくつか検討すると、「けり」「ぬ」「たり」に比べ声調を引き締めるために使ったものであろう。茂吉もやはり「し」を完了の意味で使っている。(「茂吉秀歌」)

・動詞や助動詞の連体形や未然形を「終止形」として使う・・・実例として「きこゆる」「思へる」「ける」「する」「乱るる」「けれ」など。「聞こえる」「乱れる」などの口語を意識しているのではないか。佐太郎自身は「自分は終止形として使っている」と言って憚らない。

・現在形での「終止」が多い・・・漢詩の影響と思われるが、斎藤茂吉が「けり」「けるかも」を多用したのとは対照的。用例は戦後に多く、佐太郎の新機軸と言える。



2・語句の語源にこだわったもの

・「舗道」を「鋪道」と表記する・・・漢字の表記が戦後改められたときに、語源の全くちがう「舗」があてられたが、語源をふまえて「鋪」という表記を選んだ。

・日光を「陽」ではなく「日」と表記する・・・齊藤茂吉は「陽」を使用したが、「陽」には本来「日光」の意味はなく、「日」を選んだと考えられる。


3・定型と声調に配慮して、口語を用いたもの

・「地表」より。
 
 「動物のやうな形の足うらをみづから見をり夜の灯の下」

 二句目。文語ならば「やうなる」となるところだが、「やうな」と口語表現にしている。理由は二つ考えられる。定型にこだわったのがひとつ。聞くところによれば佐太郎は「必然性のない字余り」を嫌ったそうである。もう一つ「やうなる」にすると全体が弛んだ印象になる。これらを避けたのだろう。

4・まとめ・・・声調・語感・語源などを考え、柔軟に使用したようだ。齊藤茂吉の用法をそのまま踏襲したものもあるが、「陽」のようにそうでないものもある。耳から聞いた語感・口語的発想が選択にあたって、大きく影響しているといえそうだ。





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