・胃のあらば心ゆくまで酒を飲み草の上にて眠らんものを
正岡子規晩年の連作に「足たたば」というのがある。寝たきりの子規が「もしたつことができたら」と詠ったもの。北原白秋には、「草わかば・・・」という作品がある。それらを無意識のうちにとりいれたのだったが、立つことができる僕と子規では視点が違う。また白秋の作品は「赤鉛筆を削る」だから、これもまた違う。こういう表現も許されるだろうと思う。
・手術後の初外来にわが主治医日々の食事の様子を問えり
・体内に電解質異常をもつわれはスポーツドリンク希釈して飲む
手術後の生活をそのまま詠んだ。2首目、「電解質異常」「スポーツドリンク」という用語に、いくぶんの新しさがあると思う。1首目はあまり面白くないが、退院後出来のよい作品がなかったにも関わらず、欠詠しなかったところに価値があると言えばいえなくもない。
・漢方の霊薬として屠蘇を飲む術後間もなきこの年の瀬に
屠蘇とは、いわゆる「おとそ」。元旦用にと思って近所の薬局で買った。説明書に「昔、漢方薬として中国から輸入された」とあるのを読んで、12月の30日に飲んでしまった。これも病気のなせるわざであろう。「屠蘇=漢方薬」が僕にとっての発見だった。
・ひと息に酒を飲み干す夢を見き術後一年胃のなきわれは
「・・・のわれは」という連作が、正岡子規の作品にある。ただしそれは病気とは無関係に詠まれているから、本歌取りとして成立していると思う。今思えば「ビール」の方がよかったか。胃を全摘した直後の人間には、腹の膨れるビールは禁物であるから。