「星座α」19号作品批評
人間や社会への深い彫りさげ
(掘り下げ、を彫りさげ、と表記したのは、彫刻のように立体感のある作品を期待してのものである。)
最近、ひとつの確信を持った。「文学とは人間や社会を深く彫りさげるものだ。」何となくでは感想文になってしまう。今号も佳詠が多く、選歌に時間がかかった。
必要なのは先ず着眼点。
・(ピカソを除いて子どものための画集を選ぶ歌)
・(白百合の蕾がはじける歌)
・(幼子の視線の歌)
・(寒き異国の人の瞳の色の歌)
以上の4首。着眼点がよい。ピカソは立体派の画家。子らの手本とはなるまい。つぼみの弾ける瞬間の音はどのようなものか。おそらく北欧の人であろう、その瞳の色。着眼点もさることながら、それを表現するには知識と技術が要る。
次に人間を彫りさげる。
・(かつて夫が長距離を通った通勤路を歩む歌)
・(時間が過去となって死まで続くだろうという歌)
・(かつて夫が言いさした言葉を回想する歌)
・(92歳と言う年齢が自分の誇りだという歌)
短歌は一人称の文学。人間を彫りさげるとは、おのれの生き様(いきよう)を彫り下げるということ。その年齢、境遇にあった表現があろう。老いや死や過去への哀惜であっても、愚痴ではよろしくない。
最後に社会の彫りさげ。一首のみ挙げる。
・(朽ちゆく被爆校舎の歌)
他に傷病兵、人間の動線、街の変貌の歌があった。
(短歌は文学であり抒情詩だというのは斉藤茂吉も佐藤佐太郎も言及している。文学が何かを認識せずに詩を語るなかれだ。)