岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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齊藤茂吉63歳:悲しみの象徴「黒き葡萄」

2010年01月25日 23時59分59秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
・沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ・(「小園」)

 昭和20年作。

 万葉集の時代「露」や「しづく」は別れの悲しみの「象徴」として使われた。

・わが背子を大和へ遺るとさ夜ふけて暁露にわが立ちぬれし (「万葉集・巻2・105」)

・あしひきの山のしづくに妹待つと吾たちぬれぬ山のしづくに  (「万葉集・巻2・107」)

・吾を待つと君がぬれけむあしひきの山のしづくにならましものを(「万葉集・巻2・108」)

いずれも大伯皇女の作で、これなどが好例である。あらためて見ると、第一期の万葉歌人のものが目につく。とすれば、もはや奈良時代以前の歌人は「詩の象徴性」を理解していたようである。


 それ以降は「雨」も悲しみの「象徴」として使われた。湿り気や冷たさに涙とあい通うものがあるからだろう。


 茂吉のこの作品では、「黒き葡萄」と「雨ふりそそぐ」が悲しみの象徴である。「黒き葡萄」を「青きマスカット」と言いかえれば、言葉のはたらきがわかろうというものだ。
 それに加えて上の句の「沈黙」という言葉で重量感を増している。「沈黙」という語はかなり「重い」言葉だが、下の句がそれを支えているともいいかえられる。

 茂吉の戦後の代表作はみな重量感がある。その作品群は「小園」「白き山」「つきかげ」とつづく。








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