・沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ・(「小園」)
昭和20年作。
万葉集の時代「露」や「しづく」は別れの悲しみの「象徴」として使われた。
・わが背子を大和へ遺るとさ夜ふけて暁露にわが立ちぬれし (「万葉集・巻2・105」)
・あしひきの山のしづくに妹待つと吾たちぬれぬ山のしづくに (「万葉集・巻2・107」)
・吾を待つと君がぬれけむあしひきの山のしづくにならましものを(「万葉集・巻2・108」)
いずれも大伯皇女の作で、これなどが好例である。あらためて見ると、第一期の万葉歌人のものが目につく。とすれば、もはや奈良時代以前の歌人は「詩の象徴性」を理解していたようである。
それ以降は「雨」も悲しみの「象徴」として使われた。湿り気や冷たさに涙とあい通うものがあるからだろう。
茂吉のこの作品では、「黒き葡萄」と「雨ふりそそぐ」が悲しみの象徴である。「黒き葡萄」を「青きマスカット」と言いかえれば、言葉のはたらきがわかろうというものだ。
それに加えて上の句の「沈黙」という言葉で重量感を増している。「沈黙」という語はかなり「重い」言葉だが、下の句がそれを支えているともいいかえられる。
茂吉の戦後の代表作はみな重量感がある。その作品群は「小園」「白き山」「つきかげ」とつづく。