・街川のむかうの橋にかがやきて霊柩車いま過ぎて行きたり・(「歩道」)
佐太郎の「象徴」の特徴は、他の言葉ととりかえてみるとよくわかる。この場合の「心の象徴」は「霊柩車」である。霊柩車は説明するまでもなく、遺体を納めた棺を斎場に運ぶ車である。当然、独特の印象をもつ言葉であり、「死」をも連想させる。
仮に「救急車」にかえてみよう。「霊柩車」と似た印象とはいえ切迫感がない。「街川のむかう」というのも、現世の此岸(しがん=川のこちら側)に対する彼岸(川の向こう岸)を連想させる。橋はそれを結ぶものであるから、作者の心理状態は不安定なところに来て居るとまで想像させる。
それゆえ「象徴」と「連想」は表裏一体であると言える。心には形がない。具象からの「連想」が心に「形を与える」のである。
「連想」と「象徴」の関係。これは塚本邦雄の「サンボリズム」とも共通するが、佐太郎の「写実歌」の方がより現実世界に近い。塚本邦雄の「連想」は「抽象的感覚」に読者を導く。佐藤佐太郎の「連想」は「現実の世界」の印象を鮮明にあらわす。
この辺りに「写実派」と「象徴派」の違いがあるのではないかと思うが、いかがだろうか。