・くれぐれにわれのいそげる砂利みちは三月(やよひ)にちかき雨ふりて居り・
「ともしび」所収。1925年(大正15年・昭和元年)作。
どちらかというと地味な作品なのだろうか。塚本邦雄著「茂吉秀歌・つゆじも~石泉まで・百首」、長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」、佐藤佐太郎著「茂吉秀歌・上」のいずれもとり上げていない。もちろん、この3冊にとりあげられた作品だけが「斎藤茂吉の秀歌」ではない。
茂吉自身もまた、「ともしび・後記」「作歌四十年」でもとり上げていない。代表作とは思っていなかったのだろう。
しかし、この作品の感受は特別な気がしてならない。「ともしび」の作品の少なくないものは火災によって病院・自宅が全焼したことに素材にしている。逆に言えば、「火災」という事件が作者の身に降りかかったことを知らなければ鑑賞しきれないものがおおいということだ。
戦後になって正式に「ともしび」が出版されたとき、読者は「やけあと」「やけのこり」などの表現に、空襲の「焼け跡」を重ねて読んだだろう。だから21世紀の今となっては、「茂吉が火災にあって難儀をした」ことを前提としなければ読めない作品は、いささか弱い。
その点ここで挙げた作品は、「火災」という事件を知らなくても鑑賞できる普遍性のようなものをもっている。
この作品を読むと、うつむいて夕暮れの道を急いでいる作者像が浮かぶ。また砂利道を急ぐ作者に雨が降りかかっているのも暗示的である。また、道と言えば「赤光」のいくつかの作品が思い浮かぶことであろう。
それと声調。「ウ段」の音が効果的である。特に初句の「くれぐれに」のほか、「いそげる」「雨ふりて」。[ ku.ku ][ ru ][ ru ]とローマ字で示すとよく分かるが、「ウ段」の音は、暗くこもった語感がある。人間の動作で言えばうつむいているような感触である。
そもそも、[ u. tu. mu. ku ][ ko. mo. ru ]と「ウ段」の音が暗く[ ku. ra. ku ]響く。加えて「オ段」の音は重厚な響きをもたらす。
「茂吉は声調について、完全に明らかにしなかった。」と言われる場合もあるが、茂吉は耳から聞いた感触で判断し、「カ行」「サ行」については明言しているのみだ。それを全ての行、全ての段について整理したのは、尾崎左永子著「現代短歌入門」「短歌カンタービレ」である。