・キリストの生きをりし世を思はしめ無花果の葉に蠅が群れゐる・
「帰潮」所収。1948年(昭和23年)作。
アダムやイヴの宗教画には、必ずと言っていいほどイチジクの枝葉が描かれている。キリスト教や聖書の成立した時代から、地中海地方にはイチジクが生えていたのだろう。佐太郎はこの二つ(キリスト・イチジク)を結びつけ一首とした。
組み合わせが意外である。と同時に組み合わせ方が斎藤茂吉とは少し違う。茂吉の場合は二者が並列でいわば疎句であった(西郷信綱「斎藤茂吉」にある「二重性の世界」)が、佐太郎の場合は親句である。それは上の句が直喩になっているからである。
「・・・のごとし」「・・・に似て」「・・・を思はしめ」「・・・のように」。これらが直喩だが、佐太郎のそれは見事だった。それは、かつて何びとも思いつかなかった物の組み合わせだったからである。その意味で佐太郎の直喩は、茂吉の「二重性の世界」を一歩すすめたところにあるといえまいか。
またイチジクの表記を「無花果」とし、そこに「蠅が群れゐる」としたところにも注目していいだろう。「花のない果実」とそこに「群れる蠅」。乾燥し切った印象が鮮明である。「印象鮮明なるがよし」とは茂吉の言葉だが、茂吉の作品の印象が重厚でときに粘着性を持つのに対し、佐太郎のそれは、細かいところに配慮が行き届いている印象である。ここにも佐太郎の新機軸がある。直喩の場合とおなじく、その新機軸の基盤には茂吉の世界がある。