「運河の会」東京歌会 8月9日 於)早稲田奉仕園セミナーハウス
酷く暑い日だった。欠席者が多ければ中止にすると話されていたが、参加者の熱意で開催された。短歌は5・7・5・7・7の定形詩だ。それにあてはめれば形になってしまう。だから作品を客観的に見るのが難しい。
歌会(作品批評会)の効用はここにある。「運河の会」かながわサロン、「運河の会」東京歌会、「星座」かまくら歌会、「星座α」歌会。これに参加するのは僕にとって不可欠のものになって来た。
参加者9人、出詠9首。特徴はそれぞれの作品に主題の多様性が見え始めたことだ。叙景歌あり、心理詠あり、社会の切り取りあり。その中でも課題は見えて来た。
「修飾、被修飾の関係に不自然さはないか」、「余計な言葉はないか」、「言葉足らずではないか」、「言葉の使い方が不自然ではないか」。
自分以外の人に批評されて初めて気づかされることが多い。年代による着眼点の違いも実感できる。なにより作品の評価基準が明確になる。作品の評価基準が明確になるというのは、作品を創作する基準が確立すると言うことだ。
だが落とし穴もある。指導的立場にある人が、作品を直してしまう。直されるのを期待して参加すると参加する意味は半減してしまう。
そこで出てくるのは、佐藤佐太郎の残した言葉だ。「添削は添削であって改作となってはいけない」、「原作の意図を損なわないようにせよ」。
開催日が「長崎の原爆の日」だっただけに、広島の原爆投下に関する作品もあった。批評会終了後の懇親会でも、戦中をどう生きたか、「終戦」をどう迎えたか、そのとき家族はどうしていたかが話題となった。
「戦争法案」にも反対の人が多く、反対運動がどの程度進んでいるかも話題となった。
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