岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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報告:鈴木貴子ライブ

2015年08月11日 23時59分59秒 | 短歌の周辺
鈴木貴子ライブ(Pacoy Takaco)7月17日 於)マ・ヤン(東中野)


 鈴木貴子はクラシックの声楽家としての修練を積んだ。かなりの声量がある。実力派の歌手だ。その鈴木が実力派ギタリストの細川晶生とユニットを組んでいる。


 鈴木の声量はマイクなしでも会場の隅々に響くほどだ。細川のギターは、聞いてすぐフラメンコギターと思ったが「スパニッシュ・ギタリスト」と説明されていた。


 この二人が独特の音楽世界を作っている。クラシック、ポピュラーのジャンルにとらわれない選曲だった。こうした構成は国府弘子と共通する。実力がなければ演奏出来ない。


 先ず、肉声で「アベマリア」が歌われた。声が透き通り、迫力がある。音楽大学の声楽科で学んだだけのことはある。


 曲は「時代」(中島みゆき)、「カントリー・ロード」、「サマータイム」などと進んでいった。「戦争法案」を意識してのことだろう。「死んだ男の残したものは」も歌われた。これらの曲の多くは、僕自信が中学・高校時代に、ギターの弾き語りを試みたもので、思わず口ずさんでしまった。

 曲を紹介するのは鈴木貴子。そのたびに選曲やアレンジの工夫が語られる。オペラ歌手のような鈴木の声とスパニッシュギターの細川のギター。下手をすれば大変な不協和音になる。


 だが聞いていて違和感がない。舞台裏での調整はさぞ難しかっただろう。


 途中で細川のギターソロがあった。「鬼平犯科帳」を演奏したが、細川もまたどんなジャンルにも対応する力量を持っている。


 選曲にも演奏にも人間への深い洞察が感じられた。


 いま二人は各地を飛び回っている。機会があればまた聞いてみたい。


 会場の「マ・ヤン」ここで興味深い話を聞いた。商店街の街づくりの話だ。これはまた別の記事にしたいと思う。




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