7首の新作。前回(2010年6月号)の「遠き雷鳴」は群作(素材はひとつでなく、全体として一つの主題を表現するもの)だったが、今回は7首連作とした。テーマは「放射性物質」。東日本大震災に関するもの。震災のあまりの惨状に言葉も出なかったが、この頃やっと受けとめることが出来るようになったので、作品化した。
テレビ映像を材料にせず、自分の体験として詠むのを考えた。映像を題材にした斎藤茂吉は時事詠で失敗しているし、佐太郎は抒情詩に徹した。僕が今回試みたのは「時事問題を題材とした抒情詩」である。いわば茂吉にも佐太郎にもなかったものと考えている。
何をどう表現するかは「角川短歌」6月号の岡井隆、沖ななもの作品に学んだ。
・夏野菜いくつ手にとる店先に北の大地の土の匂いす・
・時ならぬ不安がよぎるせめてものシーベルト・ベクレル表示のあらば・
・冥王(プルートー)を呼び込むように月満つる光つめたく眩しき夜は・
・セシウムが漂うという夜の空見上げ星座の位置確かめる・
・北寄りの風静かなり拭えざる悪(あ)しき予感は現(うつつ)ならんに・
・硝子戸を強く叩ける音のして未明しきりに重き雨降る・
・向日葵(ひまわり)の種蒔く頃はことさらに青深くあれ彼(か)の海もまた・
二首目。放射線量をはかる単位にはシーベルト、ベクレルのふたつがある。食品の暫定基準はシーベルト(その検体に含まれる放射性物質の量)であらわすが、検査に時間がかかる。シーベルトはガイガーカウンターなどを使えば、その場で測れるもので、人体が受ける被ばく量を示す。放射性物質の種類により決まった係数を掛ければ、ベクレルが算出される。だからベクレルのかわりに「せめてシーベルト表示があらば」としたかったのだが、これだけの説明が要るので、シーベルト・ベクレルどちらでもという表現にした。
三首目。冥王星は最近惑星から外されたが、プルートーという名は、ギリシャ・ローマ神話での冥界の王をしめし、プルトニウムの語源となった。元素の名をつける時から、底知れぬ危険性を科学者は感じていたのだろうか。その冥王を「呼び込む」ように月光は冷たく眩しい。
四首目。その(放射性)セシウムが上空に漂っていたという、スピーディーのシュミレーションが公表されたのは、8月のことだった。
五首目。「悪しき予感」とは、放射性物質の飛散を水素爆発直後に感じていたことを指す。(カテゴリー「身辺雑感」参照)
六首目。「黒い雨」を連想した。実際雨が降ることによって、放射性セシウムが首都圏にまで降り注いでいたのが確認された。
七首目。地表の放射性物質吸着のためにチェルノブイリでは25年間も向日葵を植え続けている。日本の科学者も協力している。だが「原発は安全」と繰り返していた科学者はにべもなく、「向日葵は効果がない」と即座に言う。「晩発性障害(=放射性物質が原因で何年も経ってから発生するガン)」は必ず治ります。医学は日進月歩ですから。」とも言う。
違う、どこか違うという思いが溢れくる。いいようのない不条理だ。