・けだものの穴ごもりしてゐるごとく布団のなかに吾は目を開く(あく)・
「石泉」所収。1939年(昭和6年)作。岩波文庫「齊藤茂吉歌集」152ページ。読んだ通りの意味である。斎藤茂吉の作品群では目立たない、ありふれた一首だ。
佐藤佐太郎「茂吉秀歌・上」・長沢一作「斎藤茂吉の秀歌」・塚本邦雄「茂吉秀歌・つゆじも~石泉まで・百首」のいずれもとり上げていない。
茂吉の自註もない。ただ作品の背景が書き残されているだけである。
「満州の旅から帰って来て、しばしば風を引いた。」(「作歌40年」)
「私は昭和5年の11月に満州の旅から帰って来たが、昭和6年の春から度々感冒発熱して臥床した。そして熱海・那須に転地してやうやく軽快したが、大沢禅寺で安居会を開いたあたりはいまだ喘息のやうな症状が残ってゐた。」(「石泉・後記」)
「石泉」のこの作品の次に、
・あらあらしくなりし空気とおもひつつ追儺(つゐな)の夜に病み臥して居り・
というものがあるから、冒頭の作品も体調がすぐれず寝ていると考えられる。病気はつらい。何がつらいかというと、短歌が詠めなくなるし、このブログの記事も書けなくなる。書くための資料集めも、それをよむことも出来なくなる。
ドラマ「坂の上の雲」の正岡子規が死を迎える少し前の香川照之は好演だった。原作にあるかどうか、歴史的事実がどうなのかを超えて、病人の苦しさがよく表現されていたと思う。
病気のときに床に就いたまま歌を詠むのは僕もよくやる。それがなかなか秀作にならないのだが、茂吉の冒頭歌は凡人から見れば、平均以上の出来である。茂吉には秀歌が沢山あるから目だたない。これが僕が注目する点の第一である。
そして第二。「けだものの穴ごもりしてゐるごとく」の表現である。「冬眠」とは意味が違う。眠っていないからだ。何かの危険が去るのを待って、動物は「穴ごもり」するのである。あるいは眠っているかもしれないが、「穴ごもり」という語句によって危険の去るのを待っているというニュアンスがでる。
それから「動物」と言わずに「けだもの」と表現したところ。「赤光」であらわれた茂吉の死生観を連想するのに十分である。いわば茂吉らしい表現と言える。病んで寝ていても茂吉は茂吉。そこにひとつの魅力を感じるのである。
言葉遣いは古い。もちろんだ。だから茂吉に学ぶということは、茂吉の言葉や表現の模倣をすることではない。「学ぶ」は「真似る」に通じるとも言われるが、それはごく初期のこと。どうして茂吉がそういう表現をしたかを考え、それをどう現代に活かすかに眼目があると僕は思っている。