・沼のうへ重くるしき隆起あり泥火山にて泥塔をなす・
「群丘」所収。1959年(昭和34年)作。結句は「どろ・とうをなす」と読む。
この作品には佐太郎の自註がある。
「昭和34年9月八幡平(はちまんたい)に遊んだ。・・・今日では横断歩道ができて便利になったが、当時はすべて徒歩によらねばならなかった。それだけに自然に奥行きがあったし、歌材の宝庫のようなところだった。この歌は後生掛温泉の近くにある泥火山で、1メートルそこそこの泥の塔だが、それが水の枯れた沼にいくつもある。たとえば、陶工が盛りあげたろくろの上の粘土のような泥火山を、< 重くくるしき >と主観客観一体の言い方をした。また< 泥塔をなす >という結句にも特色があるだろう。」(佐藤佐太郎著「作歌の足跡-< 海雲 >自註-」)
今まで佐太郎の作品の特徴を、「ものを詠みながら、巧みに主観を滑り込ませる」「写実を基本としながら象徴性に富む」「象徴的写実歌(岡井隆による)」などとしてきた。このことを佐太郎は「客観主観一体」と定義する。
ここが佐太郎の歌論の重要なところで、客観(もの)と主観(こころ)の一体表現は、斎藤茂吉の言った「実相観入」や「汎神論的写生論を、佐太郎本人の言葉でいいかえたものといっていいだろう。「客観と主観」の関係は、用語の面から言うと「実語と虚語」の関係にほぼ相当する。
ちなみに島木赤彦は「主観語」をきびしく戒め、土屋文明は「リアリズム写生論」だった。「客観主観一体」という言葉のなかに、両者と佐太郎の「写実論」の違いがあるし、茂吉と佐太郎の継続性があらわれている。
だから佐太郎の作品には、自然詠と心理詠の区別がつきにくいものが少なからずある。全く具象を欠いたものもある。
しかし飽くまで「客観主観一体」であって「主観客観一体」ではない。「象徴的写実歌」であり「写実的象徴歌」ではない所以である。それでもその象徴性の高さは、しばしば「幻想詩」的性格があらわれるのは、ここに原因がある。このブログでも「夜の幻想詩」「階段の人影」の二つの作品をすでに紹介した。
「客観主観一体」というものは、「帰潮」から「形影」にいたる二十年弱の間に佐太郎が茂吉の歌論を咀嚼した結果、獲得できた言葉と言えるだろう。
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