岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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齊藤茂吉38歳:造船所の音の歌

2010年06月10日 23時59分59秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
・対岸の造船所より聞こえくる鉄の響は遠あらしのごとし・

 1920年(大正9年)作。「つゆじも」所収。

 この一首の核心は結句「遠あらしのごとし」である。音数で9音。かなりの字余りだが、それが余韻をだすはたらきをしている。「遠あらし」「ごとし」と「し」で韻を踏んでいることも見逃せない。

 試しに「遠あらしのごと」(8音)・「嵐のごとし」(7音)と比べてみるといい。「遠あらしのごとし」がやはりいい。とすると9音という破調を意識して使ったものとみえる。

 茂吉みずからに語らせよう。

 「対岸の三菱造船所からひびいてくる造船のおとは、いつも深夜までつづきつづきする。大きな鋲を打つ音ださうであるが、まるで遠あらしの吹くのを聞いてゐるやうである。力強い近代的な音響を連日連夜聞いて、それをかういう風にあらはしたのであった。この形容は今からふりかへってみても厭でないやうである。」(「作歌四十年」)

 やはり「遠あらしのごとし」を意識して使ったようだ。このような甚だしい破調は茂吉としては珍しい。「つゆじも」は長崎時代の手帳に書き留めた作品、未発表のものが多い。作歌に専念していたわけではない。他に漢語・カタカナ語の多用も目立ち、様々な試行の時期とでも言おうか。

 こういうところは「土屋文明的」でもある(とはいえ、土屋文明の「横須賀に・・・」の歌との差は歴然としている< カテゴリー「写生論アラカルト・土屋文明のリアリズム」 >参照)。しかし、茂吉は結局は戦後の「白き山」のような歌境に到達しているから、やはり試行の時期といってもいいだろう。

 「遠あらし」は作者の造語だが、後年の茂吉は「逆白波」(「白き山」)・「遠のこがらし」(「つきかげ」)のように造語を盛んに使っているし、「暁の薄明に死を思ふことあり」(白き山)といった字足らずもあるもある。それらは茂吉の代表歌となっているから、「つゆじも」の試行がのちに結実したと言っていいだろう。

 さらに言えば土屋文明が横須賀の港を詠った作品と比べれば、両者の違いも明らかである。

 つまり、試行錯誤はあっても斎藤茂吉はやはり斎藤茂吉なのである。





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