岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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佐藤佐太郎38歳:妻と争う歌

2010年06月11日 23時59分59秒 | 佐藤佐太郎の短歌を読む
・時代意思の流の中にかすかにてつれあひの妻と吾と争ふ・

 1947年(昭和22年)作。「帰潮」所収。

 1945年(昭和20年)の終戦は日本にとっての転換点だった。いわば「時代の変わり目」、「時代意思」である。その転換期にあたり個人の存在は極めて微小である。戦争体験書であればなおさらのこと、しみじみと思ったことであろう。そこに作者の感受があり、詩が成立する条件がある。

 これをさらに「われ」に引き付けるために「妻と争う」と作者の具体的行動を表現する。「妻と吾は」ではなく、「妻と吾と」とすることにより客観的に突き放す表現になっている。

 「驚いている自分に驚いている」という言葉を残した陶芸家がいたが、まさにそれである。

 年表を開けば、この年に起ったことは・・・。2・1スト中止、衆参両院選挙、初の社会党内閣、日本国憲法施行、日教組・全国農民組合結成、キャサリン台風。自然災害も含め激動の時代であった。「時代意思」はそのうちのどれでもいいが、そのもとでの人間の姿こそが文学の対象である。歴史上の具体的事実は捨象されている。それが佐太郎の表現方法である。

 他の記事にも書いたが、詩歌の役割は情報の伝達ではなく、情感の伝達である。これが散文であれば、小林多喜二の「蟹工船」のような作品もありうる。


 この年の作品には次のようなものもある。

・唐突にラジオを切りてときのまを一つの罪のごとく意識す・「帰潮」

 ラジオを通して何かのニュースを聞いたのであろう。ここでも何のニュースかは詠い込まれていない。冒頭の作品と同じスタンスである。






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