岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

英語によるコミュニケーションの楽しさ:社内公用語は怖くない

2010年10月05日 23時59分59秒 | 外国語教育の現場から
英語を勉強する動機・意欲・きっかけは人さまざまだが、僕の意欲を刺激したのは英語によるコミュニケーションの面白さだった。何故面白いか。英語圏に住む人々と日本人の考えの違いについての発見・驚きが相次いだからである。


 先ず「死生観」の違い。輪廻転生を英語で< リンカーネーション >というが、これについて何度も質問された。

「君は本当に信じているのかね。」

「いや、信じている訳じゃあないけれど、日本人の価値観の基礎のひとつだと思うよ。」


 次に「進化論」について。日本ではダーウィンのヴィーグル号の話など、教科書にも載っているのに、頑として信じないイギリス人がいた。

「あなた< 進化論 >を信じる?」

「信じるかどうかの問題ではなく、常識の範囲。中学生でも知っている。」

「何で?あなた進化の過程を見たことがあるの?」

「見た訳じゃあないけれど、化石人類を考えれば分かる。」

「何で?」

「例えばゴリラの脳の大きさは450ccくらい。アウストラロピテクスは500cc。ネアンデルタール人は650cc。ジャワ原人は800cc。クロマニヨン人は1200cc。現代人は1500cc以上あるというからね。」

「そーなの。」

とけげんな顔をする。


 それから人生の目標。

「日本人である僕には、まず第一が仕事。趣味が第二。家族が第三かな。」
他の日本人生徒もほとんど同じ。

「アメリカでは考えられないね。家族・趣味ときて仕事は最後さ。単身赴任なんて考えられないよ。そんなことしたら、離婚の正当な理由になるよ。」


 最後に卑近な例だが、ユルブリンナーの声があんなダミ声とは思わなかった。また、「荒野の七人」の農民たちが、当然のことえらいメキシコ訛りであることを直に感じると、映画の印象がまるで違ってくる。

 とまあこんなところだが、その前提が二つほどある。

 第一は失敗を恐れないこと。自分の使える文法で、自分のボキャブラリーの範囲で先ずは話す。必要があればそのつどボキャブラリーを増やしていく。ビジネスマンだったらその分野の専門用語を順次覚えていけばよい。僕の場合、日本の文化に興味を持つ英米人が多かったから、日常的に話しながら日本人の食文化・慣習についてのボキャブラリーを増やしていった。そうすれば話が弾む。話が弾めば面白くなる。面白ければ話の範囲が広がる。広がれば新しいボキャブラリーが必要になる。必要になれば新しく覚えていく。といったことの繰り返しだったように思う。
 
 会話の最中に分からない単語があればその場で聞いた。その聞き方は事前に覚えた。

「えーっと、あれなんて言ったっけ。あの・・・・なもの。」と言ったフレーズは、まことに便利だった。


 第二に「英語を習得したあとの目標」つまり、「習得して何をしたいか」をハッキリさせること。僕の周囲で上達が早かったのは、「内科医になりたいから、アメリカで先端医療を学びたい」という女性だった。反対に壁にぶつかったのは、「目標はあるが、中学高校レベルの英語を理解できていない人」「英語は堪能だが、習得後の目標のない人」だった。

「一応留学をして英語力はついたんだけれど、それでどうしたと考えてしまって。」

「目標はあるんだけれど・・・。学校できちんと勉強しておくべきだった。」

 目標と基礎的英語力。この二つも相互に関係しあうスパイラルらしい。ビジネスマンにとって目標を見失うおそれはなかろう。そうすれば、あとは基礎力、中学高校の英語力である。




最新の画像もっと見る