「夜の林檎」所収。
ある人の葬儀に参列したその日の夜、不思議な気分になった。故人は健康や生活に不安をもつ人たちの相談にのったり、行政へのかけあいに心をくだいた人だった。
縁あって葬儀に参列したのだが、参列者のなかには、故人の世話になった人たちがいた。
「羊」という言葉が浮かんだ。唐突なのだが、その言葉のもつ印象は「羊の群れ」と言う言葉へ繋がっていった。人間ひとりひとりはちっぽけな存在である。死んだら、壺ひとつ分の灰になる。灰と言うよりカルシウムという無機質のかたまりだ。盛者必滅会者定離(しょうじゃひつめつえしゃじょうり)。
それをそのまま「羊の群れをわれは思いき」と表現しようかとも思ったが、咄嗟に「夢」という言葉と結びついた。それほど、その夜に感じたことは、ひそやかであり、「夢か現か、現か夢か」というものだった。
そこで「夢を見たりし」とした。語尾を過去の助動詞「き」と終止形にしなかったのは、その方が余韻があり、その時の感受にふさわしいと思った。
「不思議な感覚の歌」と言われる。その通り不思議な感覚に浸った夜だったので、不思議と言われれば、ひとまず成功と思う。
不思議でいいのだ。作者の僕自身「不思議」なのだから。どうしても「葬儀」と「羊の群れ」の因果関係にこだわる人には説明のしようがなかった。
しかし、言葉の因果関係だけで短歌を読むのは余り意味がないと思ったし、一つの印象が浮かんで来ればそれでいいとも思う。感覚的な歌で、「写実」とは少し距離を置くものであると思うが、歌集のなかにこういう作品が混ざっているのもありとおもう。