・一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております・
「こおろぎ」所収。1990年(昭和55年)刊。
作者の山崎方代は山梨県生まれ。16歳の頃から作歌を始め、「水甕」「一路」に所属したが、出征により中断。戦争で片目を失明、もう片方の目も微視となった。そのせいだろうが、一時甥の経営する会社に勤めた以外は生涯定職につかなかった。
そのせいだろうか、何か切ない抒情が漂う。
「本当の恋」。出征の前の初恋だろうか。それとも戦争で視力をほとんど失ったあとの、かなわぬ恋だったのか。さまざまな連想が連想を呼ぶ。そこに詩が成立する条件がある。
おそらく作者の心の中では葛藤があったであろうし、「かなわぬ恋」であったなら切なくも痛々しいのだが、そこを口語でさらりと詠まれているところに価値がある。
方代の作品には、
・聖ドニの僧房ふかくこもる身をうつし身なれば声をあげたり・「右左口」
という切実なものもある。戦争の傷を背負い定職にも就かなかった者の、慟哭に近い叫びが聞こえる様な一首である。こういう境遇がかえって力みのない口語短歌を生みだしたのかも知れない。