岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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早乙女勝元著「東京大空襲」(岩波新書)後日談

2014年08月19日 23時59分59秒 | 政治経済論・メモ
数年前の「8・15を語る歌人のつどい」で、早乙女勝元の講演を聞いた。所謂、「小泉旋風」が吹いているときで、「保守回帰」なども言われていた。歴史観、靖国問題も外交問題になっていた。先の戦争を肯定する論者もいた。

 また小泉総理の靖国参拝も問題となっていた。


 「つどい」の実行委員会からは「元気になる話」をするように要請されているようだった。その早乙女の第一声は次のようなものだった。

 「先ほど、靖国神社周辺の街宣車の声を聞いてきました。彼ら右翼はこういいます。『靖国に続け』と。これほど靖国神社の問題の本質を言い当てた言葉はないでしょう。」

 靖国神社には「戦争神社」という通称がある。「靖国に続け」という言葉には、戦前の軍国主義への回帰が感じられる。つまり「お国のために戦争へ駆り出す精神的支柱」が靖国神社なのだ。それを、早乙女は見事に一言で表現していた。


 講演は、「東京大空襲」を執筆したときの話に及んだ。「東京大空襲」には、20人を超える被災者の証言が収録されている。尋常な体験でないだけに、証言をしてもらうまでに、信頼関係を築くのに苦労したそうだった。

 「東京大空襲」を執筆するときに、焼けた家財道具や、衣服、などの物的資料がたくさん寄せられたともいう。早乙女は、「東京大空襲」を執筆する一方で、その資料の保存を考えた。

 そこで東京都に「資料館を建設して欲しい」という陳情をした。早乙女は、すぐに実現できると考えていた。当時の都知事は美濃部亮吉。いわゆる革新都政だった。

 しかし東京都からの回答は芳しくなかった。美濃部はこういったそうだ。

 「資料館を建設するのは、とてもよいことです。是非とも建設したいと思います。でもすべてを行政に頼るのでなく、あなたたちに何が出来るかを考えてください。」

 早乙女はそこで何が出来るかを考えた。資料館を建設するには、土地が要る。そこで資料館建設の土地取得のための市民運動を起こすことにした。正式名は失念したが「東京平和研究所」といったものを設立して、土地取得のための募金活動を始めた。

 膨大な資金が必要だった。だが土地が取得できて、その資金が集まるほど世論が高まれば、都知事が誰であろうと、資料館は建設できる。資金の調達が終わったのは、その「つどい」のあった年だった。

 早乙女は言った。「諦めてはいけません。今年ひとつの朗報がありました。アメリカの一女性が呼びかけた『対人地雷禁止条約』が結ばれました。平和を守るのも、戦争になるのも、私たち一人一人の行動次第なのです。」

 いかにも論点のはっきりした講演だった。現在、集団的自衛権に反対する集会が、日比谷野外音楽堂で計画されている。(9月4日 18:00~)

 「戦争させない9条壊すなー総がかり行動ー」という集会の呼びかけ人の一人として、菅原文太、落合恵子、大江健三郎とともに、早乙女勝元が名を連ねている。早乙女勝元の行動はいまだ続いている。




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