小さい頃からガラス戸に顔を映すのが好きだった。もちろん夜である。外が暗いとガラス戸は鏡になる。だから僕の部屋のガラス戸は指紋やら何やらで一杯だった。子どもゆえ、顔を近づけることが多かったからである。
その習慣は大人になっても変わらず。ただ違うのは顔が無表情になったことである。理由は様々あるが、それは短歌の本筋ではないと思うので割愛したい。
ある日いつものようにガラス戸に自分の顔を映していると、その顔に重なるように甲虫が這っていた。コガネムシの類である。色は黒かった。「表情の乏しき」と表現したことにより、「憂鬱さ」が表わせたと思う。
この作品、「運河」誌上の「選歌余滴」で先ず注目された。選者の目にとまったのである。「ふたつのものの出会い」という批評だったと思う。
二回目は、同じ「運河」誌上の「作品批評」で注目された。校正の関係で「選歌余滴」とは二か月の時間差がある。作品批評の担当者はゲラを見ながら批評するので、「選歌余滴」を読めない。作品批評の言葉は「アンニュイ」だった。アンニュイという言葉を用いずにアンニュイが表現出来たのが価値のあるところかと思った。
三回目は、「現代万葉集・2009年版」のなかの注目作として日本歌人クラブの会報「風」に紹介されたことだ。
「文学とは、・・・生きるとは、どう生きるか、といった命題に立ち向かうべきことではないのだろうか。そのような観点からこの十首を選んだ。」
これがコメントだったが、まさに我が意を得たりである。
すでに書いたが、「角川短歌集成」にもこれを出詠した。これだけ重なるのも珍しいだろう。(ネット上「タウンニュース」の僕の顔は、病気療養に入る前の写真で、少々むくんでいる。)