斎藤茂吉の第二歌集「あらたま」。1921年(大正10年)の刊行だが、巻頭歌は1913年(大正2年)の作。(茂吉32歳)
・ふり灑ぐあまつひかりに目のみえぬ黒き蛼を追ひつめにけり
蛼は「いとど」と読み、コオロギの類である。(「灑ぐ」は「注ぐ」の意)
「明るい昼の光の中に草陰からコオロギが跳びだして、それを追い詰めた」というのが一首の意味である。
塚本邦雄は「コオロギをどこに追い詰めたのかが書かれていないこと」に注目して、「いつか見た光景の記憶」であろうとする。幻想詩と解して、今現在見ているのではなく、「心の中の幻影として表現した」とする。
一方佐藤佐太郎は、「目の見えぬ」が作者の主観的直観だとしつつ、「そう感ずることが自身の生を投射することであった。」(「茂吉秀歌・上」)と解する。そして「追ひつめにけり」に「サジズム的傾向」を見出す。
真っ向から対立するかに見える見解だが、茂吉の言う「写生」が「生命を写すこと(実相観入)」であるからには、斎藤茂吉の作品が象徴的・幻想的にならざるを得ない。とすれば塚本邦雄の読み方の方が、説得力があり面白さ味わいがあると思える。
掲出の一首は「斎藤茂吉の幻想詩」と言っていいのではないかと思う。中野重治が「斎藤茂吉ノート」の中で「斎藤茂吉の作品はリアリズムを突き抜けたところにある象徴」と述べているようにである。
岡井隆は佐藤佐太郎の短歌を「象徴的写実歌」と呼んでいるが、その言い方を借りれば「斎藤茂吉の< 赤光 >・< あらたま >の中の秀歌の多くは< 幻想詩的写実歌 >と呼んでもいいのではないかと僕は思う。