第一歌集「夜の林檎」所収。
ある夏の日、たまたま通りかかった寺の境内に巨大な墓があった。台座を含めて高さ4メートルはあろうかというその墓にはたしか「田中正造翁之墓」と彫り込んであった。
ひっそりとしたその寺は正造の葬儀を行なったところで、当日は数万の農民が集まったという。
日本が富国強兵に突っ走った時代であり、一時は盛り上がった「足尾鉱毒問題」も日露戦争の開始とともに声はかき消された。
「時代のはざま」といったのは、公害問題が当然の企業責任ととらえられる時代と、江戸時代の「庄屋」の家に生まれ村民の声を社会にとどけようとした「代表越訴型一揆」の趣をもった時代のはざまに生まれた事件であり、人間だと捉えたから。
寺の近くの資料館にあった正造の遺品の頭陀袋と古びた聖書が悲しかった。
かなり叙事的だが、大学で近現代史を専攻し、自由民権運動の立憲改進党を研究テーマとしていた教授の卒論ゼミに参加した僕には、忘れ難い一首となった。