岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

ブナの木通信「星座90号」より、茂吉と佐太郎の歌論に学んで

2019年07月31日 02時33分21秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
「ブナの木通信:星座90号より

 ・(滾る湯に沈む花かつおの歌)

 作者は深い悲しみのもとにある。掲出の作品以外でそれはわかる。その悲しみをありのままに受け止めようとする作者の姿勢。ここに作品の深みがある。

 ・(冬枯れの庭の歌)

 春を告げる歌。結句の「ていねいに掃く」という動作のなかに作者の心情が顕れている。季節の変化を深く受け止めようとする作者像がそこにはある。

 ・(春の彼岸に墓石の雪を掘る歌)

 雪深い北国ならではの春の彼岸。淡々と詠っているが、そこには祈りのようなものが感じられる。


 ・(津波を受けたアリーナの冬枯れた情景の歌)

 東日本大震災より八年。未だ復興の途上なのだろう。荒涼とした情景の中に作者の悲しみが感じられる。

・(閉校の決まった学校から校歌が響く歌)

 春になれば廃校となる。今頃は校歌を聞くこともないだろう。三月は別れの季節でもある。

・(寒椿の散る歌)

 初春の情景に巧みに心理を重ねて詠んだ。心には形がないが、散っている椿の描写が心理の象徴となっている。

・(春雪の弾力を鋪道に感じる歌)

・(雪を被った山茱萸の歌)

・(雪解水の音の聞こえる日向に咲く福寿草の歌)

 以上の三首。冬から春への季節の変化を詠った作品として優れている。

・(高遠の夜桜の歌)

 高遠は信州の桜の名所。これは旅行詠だが絵葉書的にならなかったのがよい。

・(縁薄い人の葬送にゆく歌)

 人を送る歌である。「風冷ゆる日」という表現に心理が投影されている。





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